『Made in U.S.A.』(メイド・イン・ユー・エス・エー)は、男闘呼組が1987年8月3日に発売した初の映像作品である。ニューヨークとロサンゼルスを中心にアメリカ各地でロケーションを行い、グループのオリジナル楽曲7曲の演奏シーンとメンバーによるナレーションで構成されている。男闘呼組にとって最初の商品リリースであり、公式レコードデビューの約1年前に発売された。

Made in U.S.A.(映像作品)
アーティスト:男闘呼組
発売日:1987年8月3日
形態:VHS
品番:V78M1511
値段:¥7,800
製造・発売:株式会社ポニー
本作品は男闘呼組の記念すべき第1作目の映像作品であると同時に、グループ史上初の商品リリースとなった。1987年8月3日に株式会社ポニーから発売され、VHSとベータの両フォーマットでリリースされた。品番はV78M1511、価格は7,800円。カラー40分の作品で、制作はジャニーズ事務所、制作協力はビデオ・ビジョンが担当した。
撮影はロサンゼルス、ラスベガス、ニューヨーク、フロリダの4都市で行われた2週間(16日間)のアメリカロケで、バイクやスケートボード、スポーツシーンなど、メンバーの「オトコっぽさ」を前面に打ち出した内容となっている。成田昭次は「長かったねー、今回のアメリカ。みっちり滞在したって実感がある」「街を歩きながら、ロケハンして、その場で撮っちゃった」と撮影の自由さを語り、岡本健一は「その意味じゃ、けっこう新鮮なんじゃない?素顔の部分がいっぱい出ててさ」とコメントしている。
デビュー前の戦略的リリース
男闘呼組の公式レコードデビューは1988年8月24日の「DAYBREAK」であるが、本作品はその1年以上前に発売されたプロモーション戦略の一環だった。1987年当時、男闘呼組はまだジャニーズJr.として活動中であったが、3月には「夜のヒットスタジオ」に出演、4月から9月まで文化放送でラジオ番組「Teen’sギャング男闘呼組」を担当、8月から9月にかけてTBSドラマ「ぼくの姉キはパイロット!」に出演するなど、積極的なメディア露出を行っていた。
収録曲
本作品には以下の8曲が収録されている。特筆すべきは、これらの楽曲のうち5曲が後に商業リリースされることなく、この映像作品でしか聴くことのできない貴重な音源となっていることである。
- STAND OUT!!
作詞:大津あきら 作曲:馬飼野康二 編曲:Mark Davis
本作のリード曲であり、TBSドラマ「ぼくの姉キはパイロット!」の主題歌としても使用された。後にデビューシングル「DAYBREAK」(TYPE4)のCW曲として収録され、公式にCD化された数少ない楽曲の一つ。 - TENSION
作詞:安藤芳彦 作曲:Mark Davis 編曲:松下誠
デビュー前のテレビ出演やコンサートで頻繁に披露され、ファンの間で最も知られたプレデビュー曲の一つだが、CD化は一度もされていない貴重な音源。 - 夜を撃て
作詞:秋谷銀四郎 作曲:都志見隆 編曲:中村哲
曲と同時進行でメンバーのナレーションが挿入される構成。CD未発売曲。 - 禁断のエロキューション
作詞:安藤芳彦 作曲:和泉一弥 編曲:松下誠
CD未発売曲。 - DETARAME・クレイジーナイト
作詞・作曲:男闘呼組 編曲:松下誠
男闘呼組自身が作詞・作曲を手がけた楽曲。CD未発売曲。
曲の途中で4人それぞれが自己紹介と人生観を語るナレーションが挿入される。 - 勝負!
作詞・作曲:男闘呼組 編曲:戸塚修
男闘呼組自身が作詞・作曲を手がけたもう一つの楽曲。CD未発売曲。 - MIDNIGHT TRAIN
作詞:安藤芳彦 作曲:熊谷安廣 編曲:戸塚修
後にデビューシングル「DAYBREAK」(TYPE3)のCW曲として収録され、公式にCD化された数少ない楽曲の一つ。 - STAND OUT!!(スローバージョン)
最初の曲のスローアレンジバージョン。後半にメンバーの手書きメッセージが映像に収められる。
このスローバージョンは一度もCD化されていない。
男闘呼組のアメリカロケ
男闘呼組の4人のメンバー(高橋和也、前田耕陽、岡本健一、成田昭次)は1987年夏、16日間のアメリカ本土ロケを敢行した。ロサンゼルス、ラスベガス、ニューヨーク、フロリダの4都市を巡る長旅となった。
入国時には高橋和也が入国審査で所持金に関する質問を受けた。英会話ハンドブックを片手に対応したが、偶然ポケットに入っていた2ドルだけを提示したため、16日間の滞在で全財産300円はやはり問題視されたという。前田耕陽は初日からホームシックになったと語っている。
ロサンゼルスでの撮影
成田昭次はロサンゼルスを特に気に入り、「皿洗いでもいいからこの街に住みたい」「一生住みたい」と語った。気候もサラッとしていて体になじんだという。岡本健一は「太陽がなかなか落ちなくて、夜の7時くらいでも日焼けができる」と驚き、前田耕陽は「8時半くらいに、一気に暗くなる。昼間が長くて腹が減るから、食べ物がうまいだろ?それに、急に夜になるから眠くて早寝する。健康的だよな。アメリカ人はでかくなるはずだと思ったね」とコメントしている。成田は「おかげでビデオの撮影がなかなか終わんなかったけどな」と付け加えた。
サンタモニカから南へ数キロのビーチでは、メンバーたちが地元の若者たちとビーチバレーやスケートボードを楽しむシーンが撮影された。
ロサンゼルスでは映画「ビバリーヒルズ・コップII」のエディ・マーフィーの壁画の前でも撮影が行われた。前田耕陽によれば、本来は「何分間で相当な額」を支払わなければならない場所だが、メンバーたちは無料にしてもらえたという。成田昭次は「悪いヤツに見えなかったんだろうな」と振り返っている。
高橋和也は白い桟橋でスケートボードに乗る現地の若者と出会った。「肌を刺す紫外線が、ハートまでも刺激しちゃうんだ。ツーステップでボードに乗る。ローラーが乾ききったアスファルトを鳴らした。アイツの近くでターン、ほんの一瞬、目が合って、また離れた」と語っている。
成田昭次は得意のスケートボードをたっぷり披露し、ロサンゼルスに留学中の友人「ブーちゃん」とウエストウッド(原宿のような街)で再会した。高橋和也はロサンゼルスのレコード店で、アメリカのミュージシャンに混じって永ちゃん(浜田省吾)のレコードを発見し、感動したと語っている。
岡本健一は早朝のモーニングコールから「いっぱいの青が目にまぶしい」朝を迎え、夕暮れの午後8時まで海辺に残ることを決めた。「どんなヤツに会えるだろう。夕焼けを見ながらのシーフードレストランも予約しておこうか」と雑誌に記している。
成田昭次は「太陽は俺の真上にあって、さっきからずーっと俺のことを見つめてる。おーい、まぶしいんだよォ!」と太陽に語りかけ、ビーチバレーのゲームに飛び入り参加した。
メンバーたちはマジックマウンテンという遊園地も訪れた。前田耕陽は「入場料払えば、あとは乗り放題」と驚き、成田昭次は「ジェットコースターだけで5種類くらいあって、速いし、距離は長い」と語った。特にフリーフォールというアトラクションについて、成田は「ストーンと下に落ちるだけで、時間も5秒くらいなのにこわかった。オレ、飛び降り自殺する人の恐怖がわかったもん」とコメントしている。高橋和也は「むこうの遊園地は人のこと考えてないね。丸いボートで川を下るんだけど、もう、ビショビショ。けど、アメリカ人は全然怒らないんだよな。それが当然って感じで。なんか、こう、スケールの大きさを感じた」と述べた。
ラスベガスでの滞在
メンバーたちはラスベガスも訪れた。前田耕陽は「ネオンも歌舞伎町なんて問題じゃない」と驚き、高橋和也は「芸術なの。デザインもよくて」と評価した。岡本健一は「道路からホテルへの通路ですら、ディズニーランドのホーンテッドマンションみたいなのがいっぱいあった。映像で小さな人間がいっぱい浮かんでて、むこうの山が燃えてて…みたいな。日本じゃ考えられない」と語っている。
ラスベガスのショーも体験し、前田耕陽は「お客さんを楽しませるって面じゃすごい」と感想を述べた。成田昭次は「おっぱい丸だしでなぁ。でも、Hな感じって全然しないの」とコメント。オランウータンのショーについて前田は「人間がぬいぐるみに入ってるみたいな動きで。お客さんの所にチップもらいに行ったり、お酒飲んだり。スケールが違う」と驚きを語った。
ニューヨークでの撮影
ニューヨークでは空母「イントレピッド」の甲板上で演奏シーンが撮影された。この空母は第二次世界大戦で日本のゼロ戦を撃墜した歴史を持ち、撮影当時は博物館として公開されていた。成田昭次は「演奏してるすぐ下の博物館で、日本人の悪口いっぱいの映画を上映してたもんな。でも、みんな、オレたちの演奏をちゃんと聞いてたぜ」と語っている。
ヘリコプターでの移動シーンでは、メンバーたちが一人一台ヘリを操縦し、無線で交信しながらニューヨークに向かう様子が収録されている。高橋和也のナレーションでは「最高高度1000フィート。そして山林と谷の間を行く地面すれすれの超低空飛行。俺たちはアメリカの隅まで知るために、このすげえやつをそれぞれの相棒に選んだ」と語られている。
前田耕陽は街角の公園で黒人の少年たちがバスケットボールを持って集まってくる場面に遭遇した。「自然に数人の少年が集まって、いきなり言葉もなく始まったボールの奪い合い。こぼれたボールが俺の前に転がって来た。軽くドリブルを重ねて、ゴールリングにシュートする、決まった。言葉はいらないさ。俺の遊びゴコロが彼らに通じて、汗が流れるまで、ゲームを楽しもうか」と雑誌で振り返っている。
前田耕陽は社会科見学中の小学生の前でバック転を披露したが、子供たちに「どこから来たの?」と聞かれ「東京」と答えたところ、誰も知らなかったというエピソードがある。また、ニューヨークでは取り立ての免許で「思いっきりドライブを楽しむため」街外れの静かな片隅へ車を走らせた。
メンバーが宿泊したホテルはセントラルパークのすぐ横にあり、ペントハウスにはダイアナ・ロスが滞在していた。前田耕陽は西武ライオンズの順位が日本を出る時は最下位だったのに、ニューヨークで日本のスポーツ新聞を見つけて「西武2位」の記事を発見し、喜んだと語っている。
岡本健一はSOHO地区を気に入り、「みんなは、この街のこと嫌いらしいけど、刺激があって、ボクは好きだな」と語り、アクセサリーをいっぱい買ってきた。一方で、成田昭次は「NYは汚くてゴミゴミしていて合わなかった。もともとハデハデ嫌いだし。やっぱり、日本が一番いい」と評し、前田耕陽も同様に日本への郷愁を語っている。
前田耕陽はニューヨークの治安について「空港出たとたん、こいつらみんなピストルもってんなー、やばいなーって異様な雰囲気感じた」と振り返っている。実際に店で値段を聞いて高かったため断ったところ、店員に「奥にひっぱられてって『てめー、いくらなら買うんだ』っておどすんだぜ」という体験をしたという。「テレビのニュース見てても、やたら殺人事件の多いこと!」とコメントしている。
一方、成田昭次は「アメリカから帰ってきて堂々とするようになった。アメリカ人ってテレがないじゃない。年齢差も関係ないし、目があって笑いかけたら、もう友だち」と肯定的に語ったが、黒人に笑いかけて「何がおかしいんだ」と怒られ、殴られそうになった経験もあった。
高橋和也は「島国根性がぬけないっていうか、なめられてたまるか・・みたいなもんがあった」と語りつつ、「でも、目があうと、むこうが照れくさそうにしたんだ。なーんだ、びびることねーや、日本の女のコといっしょだって安心した。なんか、オレ、明治の人間みたい」とコメントしている。
岡本健一と前田耕陽はハードロックカフェに行き、アイスティーとチキンサラダとバニラアイスで3時間粘った。岡本健一はアメリカ滞在中に3曲を作曲し、「日本でヨッちゃん(野村義男)にアレンジ頼もう」と語っていた。
前田耕陽は「カリフォルニアの女のコがかわいかった!ナンパする勇気はなかったけど」と語り、岡本健一は「会話が続かないからね。オレたちの英語って単語の組み合わせだろ?声かけて二言三言しゃべって、それっきり」と英会話力の不足を実感していた。高橋和也は英会話に一番チャレンジしたが、「全然相手してくんねーんだ。こっちが心を開いてんのによー。はっきり言って、オレはこの国キライだね」とコメントしている。
音楽的交流
撮影中、シンディ・ローパーのバックドラマーを務めていたスターリング・キャンベル(Sterling Campbell)が友情出演し、演奏に参加した。成田昭次は「アメリカで知り合ったバンド仲間、スターリング・キャンベル。やつはシンディ・ローパーのドラムスを担当してたけど、今日は俺たちのドラムの応援に来てくれた」とナレーションで紹介している。岡本健一は「ドラムスの黒人がすっげーパワーだったね。昔、シンディ・ローパーのバックで世界を回って、今はカメオとやってるんだって」と語った。
また、ロサンゼルスでのリハーサルには、ロック界で知られるバリー・ホワイトの息子、バリー・ホワイト・ジュニア(Barry White Jr.)が応援に駆けつけた。映像では「ロック界で有名なバリー・ホワイトの息子、バリー・ホワイト・ジュニアが応援に来てくれた。最高に気さくなやつだったね」と紹介されている。
滞在中、ロサンゼルスでは多数の有名ミュージシャンのコンサートが開催されていた。岡本健一は「今度はコンサートとかいっぱい見たいね。今回は遠くて行けなかったから」と語り、前田耕陽は「ジェネシスとポール・ヤングのジョイントとかポリスとかさあ、有名なミュージシャンがライブハウスでバンバンやってたね」と振り返った。しかし、撮影スケジュールの都合で実際に見に行くことはできなかった。
帰国
フロリダのディズニーワールドで映画『キャプテンEO』を鑑賞した後、国内線で再びニューヨークへ向かったが、飛行機の故障により立ち往生するトラブルがあった。最後まで事件続きの旅だったが、無事に帰国した。高橋和也は「成田空港に着いて、日本人とか日本語の活字を見たときは、これでもうなんでもできるぞって思ったもん。やっぱり、言葉の通じない生活はつらいよ」と安堵のコメントを残している。
最終シーンでは「アメリカにさよならする時がやってきた。数々の場面に色々思い出。それに俺たちは自信という大きな土産を持って日本へ帰る。この思い出を明日からの励みとして俺たちの胸にいつまでも残ることだろう。アメリカよ、またいつかどこかで会おう。そしてアメリカよ、We shall return。その時はまた暖かく迎えてくれ。ありがとう、アメリカ。そしてアメリカよ、さようなら」というナレーションが流れる。
制作スタッフ
エグゼクティブ・プロデューサー:ジャニー喜多川
- プロデューサー:石引繁
- 監督:言川廣
- プロダクション・マネージャー:寺田英美
- プロダクション・アシスタント:保々眞徳、伊藤直之
- 撮影:平林寛信、甲斐哲明
- 衣裳:清水文夫
- マネージャー:藤河譲二
- L.A.ロケ・コーディネーター:中島繁樹、小野誠
- N.Y.ロケ・コーディネーター:ジェフリー・J・マーリー
- 友情出演:バリー・ホワイト Jr.、スターリング・キャンベル
- 編集:小林一雅
- MAミキサー:田中光一
- 効果:サウンドクラフト
- ポスト・プロダクション:音響ハウス
- 音楽提供:ジャニーズ出版
- 協力:テレビ朝日 ミュージックステーション、スリーセッツ
- ナレーション構成:男闘呼組
