高橋和也(たかはし かずや、1969年5月20日 – )は、日本の俳優、歌手、シンガーソングライター、声優。本名および旧芸名は高橋一也(読み同じ)。東京都世田谷区出身。身長170cm。アルファエージェンシー所属。
1988年にロックバンド「男闘呼組」のメンバーとしてデビューし、ボーカルとベースを担当した。1993年のバンド活動休止後は俳優として映画やテレビドラマに多数出演する一方、音楽活動も継続している。2022年からは自身が率いるロックバンド「MOUNTAIN MAN」や、元男闘呼組メンバーと結成した「Rockon Social Club」で活動している。


6人の子供がおり、長男の耕太郎は前田耕陽から一字をもらって名付けられた。長男の耕太郎と三男の海斗は「Tokyo Plastic Boy」として音楽活動を行っている。同ユニットは2022年の男闘呼組復活コンサート「男闘呼組1988」でオープニングアクトを務め、世代を超えた音楽的継承を実現した。また、高橋和也のソロアルバム『MOUNTAIN MAN』(2022年)収録曲「似ているらしい」にゲスト参加するなど、現在も活動を継続している。2024年5月にオフィシャルファンクラブ「MICOTO」を開設した。
来歴
東京都世田谷区出身。O型。父親が新宿でライブハウス兼バー「マローネ」を経営していた影響で、幼少期から音楽に親しむ。父親はカントリーミュージック愛好家であり、高橋も同様にカントリーミュージックを好むようになった。
1984年、中学2年生の時にジャニーズ事務所に入所。当初のオーディションでは落選したが、友人と共に二次審査会場に押しかけ、ジャニー喜多川に直談判してレッスン生となった。
男闘呼組
1988年8月24日、成田昭次、岡本健一、前田耕陽と共に、ロックバンド「男闘呼組」としてジャニーズ事務所からデビュー。高橋はボーカルとベースを担当した。高橋はデビュー会見で記者からの質問に対し「朝早く起きてきちんと朝食をとる前田耕陽がリーダーのような大変なことは誰もやりたくなかった」と述べ、前田をリーダーに推した。
男闘呼組は直後にNHK紅白歌合戦に出場し、第30回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した。バンドは1曲を高橋と成田の二人で、もしくは高橋、岡本、成田の3人でパート分けをして歌う、スイッチボーカルの楽曲が多いことが特徴であった。特に3人でスイッチボーカルを行うバンドは、極めて稀であると言われている。
男闘呼組の活動休止とアメリカ留学
1993年6月、男闘呼組メンバー4人が主演した舞台『スラブ・ボーイズ』(ロバート・アラン・アッカーマン演出、パルコ劇場)が終了した直後、高橋はジャニーズ事務所から解雇され、同時に男闘呼組も活動を休止した。
この舞台の演出家ロバート・アラン・アッカーマンの勧めもあり、高橋は修業のためにアメリカに留学。約1年近い米国での放浪の旅を経験した。1995年に帰国した際、長男が誕生したことが帰国の決定的要因となった。帰国後、芸名を本名の「高橋一也」から「高橋和也」に改めて芸能活動を再開した。
俳優活動
1994年、舞台「NEVER SAY DREAM」(栗山民也演出、シアターコクーン)で舞台俳優としての活動を再開。同時期に映画『KAMIKAZE TAXI』(1995年公開)への出演が決まり、舞台公演と並行しながら撮影に参加した経緯を述べている。その後、その確かな演技力によって舞台、映画、テレビドラマに幅広く活躍。映画では『八つ墓村』(1996年)、1997年のNHK金曜時代劇『寺子屋ゆめ指南』では主演を務めた。1997年公開の映画『マルタイの女』では伊丹十三監督の現場について、衣装合わせの段階で髪型の変更を含む演出が進んだことを回想している。『歩いても歩いても』(2008年、是枝裕和監督)など数多くの作品に出演している。2015年、映画『そこのみにて光輝く』での役で第29回高崎映画祭最優秀助演男優賞を受賞。
舞台作品では、ロバート・アラン・アッカーマン演出による『エンジェルス・イン・アメリカ』(1994–1995年上演)に言及し、作品の規模や役柄について自らの体験として語っている。また俳優業が多忙だった時期には、音楽活動の時間確保が難しく、空き時間に父の店(マローネ)でライブを行うことが支えになった旨を述べている。
その他、韓国ドラマの吹き替え、ラジオドラマ、文学作品の朗読、ナレーションなど声の仕事でも活躍している。
声優としては韓国俳優イ・ビョンホンの日本語吹き替えを多数担当しており、「美しき日々」「オールイン 運命の愛」などで公認されている。
音楽活動の継続
男闘呼組の解散後も、高橋は音楽活動を継続している。1994年9月には最初のソロアルバム『KAZUYA AND ROCK FOLK』を発表。アメリカで書き溜めたオリジナル曲を、男闘呼組のサポートメンバーであった田中厚(ピアノ)、平山牧伸(ドラム)、石坂和弘(ギター)、齋藤巌(ベース)らと共に、あるいは名ギタリスト岩田浩史と二人だけで録音した曲で構成されている。
その後、高橋はライブハウスを中心にカントリーミュージックの演奏活動に注力。2011年の東日本大震災の直後、地元日野のライブハウス「バンボラ」でハンク・ウィリアムスのナンバーのみを歌うライブ活動を開始。当初メンバーは流動的であったが、フィドラーのTATER安田との出会いを機に、本格的に自身のバンドの結成を意識。アコースティックサウンドを追求した3人編成の「The Driving Cowboys」を結成した。バンド名はハンク・ウィリアムスのバンド名「The Drifting Cowboys」に敬意を表して付けられている。
2000年9月には、ライブバンド「Nervous Circus」(メンバー:高橋和也(ギター、ボーカル)、西村ヒロ(ハーモニカ)、ナポレオン山岸(ギター)、近藤洋史(ベース)、石田一郎(ドラム))のライブアルバムを日本クラウンからリリース。2005年12月には同バンドの2作目にしてラストアルバムを発表した。レコーディングは高橋の父が経営する新宿マローネで行われ、高橋はギター、ベースのほか、サンポーニャ(南米の笛)やトランペットの演奏も披露している。
父親の店・マローネは高橋の音楽活動の重要な拠点となり、高橋は毎年12月31日にこの店でカウントダウンライブを行うことを習慣としている。
舞台
現在の音楽活動
男闘呼組の再結成
1993年の活動休止以降、27年間、4人のメンバーが揃うことはなかった。2020年8月、岡本健一からの「お別れ会」への招待をきっかけに、成田昭次がメンバーとの再交流に応じることになった。この時期、高橋は成田昭次に愛知県の方言を教えてもらうためにメールで連絡を取り始めていた。岡本からの提案「みんなでごはんくらいはいつでも食べれる。それより、スタジオに入ろうよ」により、4人がスタジオに集結することになった。
2022年7月16日、4人は約27年ぶりにTBS「音楽の日」で「TIME ZONE」「DAYBREAK」「パズル」の3曲を演奏し、男闘呼組の復活を公式に発表した。2022年から2023年8月までの期間限定で、男闘呼組の再活動が行われることが決定された。この再始動には、各メンバーが異なる事務所に所属し、それぞれに活動があるという複雑な状況を乗り越える必要があったが、優秀なプロデューサーとの協力により実現した。
メンバー同士の関係性について、成田昭次は2026年1月のインタビューで「4人で話すとき、敬語になる時が増えた」「当時は苗字で呼び合っていたが、今は下の名前で呼ぶようになった」と述べ、「仲は良かったけれど、喧嘩もたくさんあった。殴り合ったこともある」と当時を回想。一方で「今が1番仲が良いんじゃないですかね」と現在の関係性を評価している。

MOUNTAIN MAN
2022年、高橋は新たなソロアルバム『MOUNTAIN MAN』の制作に着手。当初は男闘呼組の新曲として楽曲制作に着手したが、最終的にはソロアルバムとして制作され、男闘呼組メンバーのほか、うじきつよしなど多数のゲストミュージシャンが参加した。
このアルバムの制作と発表に伴い、高橋は2022年5月にSOLO TOUR「MOUNTAIN MAN」を開催。そのツアーの成功を受けて、同年5月20日(高橋の誕生日)、アルバムに参加した高橋和也(ボーカル、ベース)、原田喧太(ギター、ボーカル)、平山ヒラポン牧伸(ドラムス、ボーカル)の3名でロックトリオ「Mountainman」を正式に結成した。
高橋と原田喧太は10代の頃から親交があり、平山ヒラポン牧伸は男闘呼組のオーディションで高橋に採用された経歴を持つ。バンドの音楽性は、ハードロックを基調としながらブルースやR&Bの要素を取り入れたものであり、3人がメインボーカルをそれぞれ担当する特徴を持つ。

Rockon Social Club
男闘呼組の期間限定活動の中から、新たなバンド「Rockon Social Club」(略称:RSC)が生まれた。2023年1月26日、ラジオ番組『TOKYO MUSIC SHOW』で成田昭次と岡本健一によって正式なバンド名が初めて公表された。
Rockon Social Clubは、男闘呼組の4メンバー(成田昭次、高橋和也、岡本健一、前田耕陽)に、プロデューサーの寺岡呼人とドラマーの青山英樹を加えた6人で構成される。男闘呼組の活動終了後、その音楽的遺伝子を受け継ぎながら新たな表現を追求する後継プロジェクトとしての位置付けを持つ。楽曲は主にプロデューサー寺岡呼人によって手掛けられ、男闘呼組時代からの特徴であるメンバー全員がボーカルをとるマルチボーカルスタイルを継承している。
高橋は、このプロジェクトの中で引き続きボーカルとベースを担当している。RSCは2023年以降、精力的にライブツアーやメディア出演を行い、NHK紅白歌合戦(第74回、2023年12月31日、MISIA枠での共演)、NHK「SONGS」など主要な音楽番組に出演している。

人物・エピソード
俳優活動の初期において、舞台『NEVER SAY DREAM』の稽古中にトラブルが起きたこと、また公演準備と私生活が重なる状況の中で初日を迎えたことを回想している。
『KAMIKAZE TAXI』出演は、当時の関係者(所属先に関わる人物)から脚本を渡されたことが契機だったと述べている。
『寺子屋ゆめ指南』主演は、制作側の事情変更を受けて決まった経緯を本人が語っている。
作品選びについては、近年は脚本全体を読み、役の魅力(人物造形や登場のさせ方等)を重視して判断するという趣旨の発言をしている。
俳優と音楽の両立について、俳優業の経験が楽曲の着想につながることや、逆に舞台の中で音楽的要素を担う役が来る場合があることを述べている。
一方で、音楽活動を自主的に進める際には、制作費や会場手配、集客などを含めた運営面の負荷を実感したとも語っている。
1990年代の舞台経験として『エンジェルス・イン・アメリカ』を挙げ、当時の社会状況や題材(人権をめぐる問題意識等)を踏まえた作品であったという認識を示している。
私生活
高橋は6人の子どもを持つ父親である。長男の名前「耕太郎」は、男闘呼組メンバーの前田耕陽から一字をもらって命名された。長男の耕太郎と三男の海斗は、音楽ユニット「Tokyo Plastic Boy」として音楽活動を行っており、2022年の男闘呼組復活コンサート「男闘呼組1988」ではオープニングアクトを務め、世代を超えた音楽的継承を実現した。
高橋の父である三千男氏が経営する新宿のライブハウス兼バー「マローネ」は、高橋の音楽活動の中心となっており、毎年12月31日のカウントダウンライブはこの店での演奏が恒例となっている。


