ananwebは2026年3月15日、成田昭次のインタビューを公開しました。2009年の引退後の会社勤め、男闘呼組の仲間との再会、自叙伝『人生はとんとん』が生まれた経緯、若い自分に励まされて再び音楽を続ける思いを語っています。2026年3月11日発売の『anan』2487号からの記事です。

会社勤めから、メンバーとの再会へ
成田昭次は2009年に事件を起こした後、名古屋へ戻り、第二の人生を歩もうと決めた。音楽の仕事しか経験がなく、40歳を過ぎて定職に就けるか不安だったが、少しずつ前へ進み、2016年ごろには3つ目の会社で新しいプロジェクトを任せたいと言われるほど信頼を得たと語る。
男闘呼組時代の知人を通じ、世話になった編集者から連絡が来た。成田はそのメールに返事ができなかったが、編集者が高橋和也へアドレスを伝え、高橋から約10年ぶりにメールが届いた。迷惑をかけた自分と連絡を取りたいはずがないと思い、本当に高橋なのかと驚いた。岡本健一の舞台の誘いにも忙しいと理由をつけて応じなかった一方、1993年の活動休止から、男闘呼組をやり残した後悔は残り続けた。後に自叙伝を一緒に作る編集者の連絡が全ての糸口だったが、交流が戻っても、芸能の仕事やグループの復活は選択肢になかったという。

岡本、前田耕陽との再会を経て、4人で約27年ぶりに演奏したことは楽しかった。それでも、10年間音楽をせず、会社や周囲の人への思いもあり、再始動の誘いには簡単に答えられなかった。成田は「そんな気持ちのまま1~2年があっという間に経ってしまい」と振り返る。会うだけならと東京へ行き、岡本と、復活を望む事務所社長に会った。勤め先の社長へ相談すると喜ばれ、失敗したら戻ってくればよいと背中を押された。

自叙伝で知った仲間の思いと、バンドの出発
音楽から離れた10年間にも、行く先々で自分を応援する人がいた。何も説明せず表舞台へ戻るのではなく、自分の言葉で経緯と思いを伝えたいと編集者へ相談し、本の出版につながった。写真も、男闘呼組時代から見守ってきたカメラマンが撮ったという。
名古屋で4人が演奏した時は照れもあったが、10分もしないうちに昔の感覚がよみがえった。今は飾らずに付き合える関係になり、本で他の3人の当時の思いを読むことで、自分の思い込みにも気づけた。昔は本当は話したくても粋がってあまり話さなかったため、仲間の文章を読めることをありがたく思ったという。15〜16歳で出会い、約8年間を濃密に過ごした仲間を、戦友のような存在と感じている。その時間を、80年ほど一緒にいるようだと表現した。
成田は、兄の影響でギターに興味を持ち、岡本とダンスのレッスンを休んだことから音楽へ傾いていった。先輩の野村義男にギターと音楽を教わり、岡本、ベースを弾く高橋とスタジオへ入るようになった。音楽好きの仲間による部活のような出発で、本格的な活動が決まると、渋谷のヤマハのスタジオで夜10時から朝6時まで外へ出られない中、練習を続けた。

若い自分から受け取った励まし
再始動の準備で昔の音源や映像を見直し、当時させてもらったことの大きさに驚いた。人の曲を歌うことやシングル曲中心の演奏に不満もあったが、50代で「DAYBREAK」の曲と詞の良さに気づいた。長いブランクの後、ギターを弾きながら歌えるか不安でも、映像の若い自分が「お前、俺なんだからできるだろ?」と言うように感じ、励まされた。

途中であきらめた若いころの夢を、音楽へ戻れた今、成し遂げたい。音楽に生涯を捧げ、もらったものを時間をかけて返したいと考えている。メンバーも真面目になり、昔は2時間の遅刻が普通だったが、今は集合の1時間前にそろうこともあるという。
出典・元記事
ananweb、2026年3月15日。男闘呼組・成田昭次「この先もずっと、音楽をやっている姿を見せていけたらと思います」。『anan』2487号(2026年3月11日発売)より。再出発・再会・出版・バンドの練習・楽曲観と今後の考え、撮影の説明を支えるインタビューです。
インタビューの全文は、ananwebの原記事でお読みください。


