男闘呼組

男闘呼組(おとこぐみ)は、1980年代後半から1990年代初頭にかけて活動した、ジャニーズ事務所所属の4人組男性ロックバンドである 。メンバーは成田昭次(リードギター、ボーカル)、高橋和也(ベース、ボーカル)、岡本健一(リズムギター、ボーカル)、前田耕陽(キーボード、ボーカル)の4名で構成される 。

1985年に結成され、1988年にシングル「DAYBREAK」でレコードデビュー 。デビュー曲がいきなりオリコンチャート1位を獲得し、同年の日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞1するなど、華々しいスタートを切った 。従来のアイドルグループとは一線を画す本格的なロックサウンドと、メンバー自身が作詞作曲を手掛ける(後期)スタイル、そして硬派なイメージで、当時の音楽シーンにおいて異色の存在感を放った 。

活動期間は約5年と短かったものの、後続のジャニーズ系バンド(TOKIOなど)に影響を与え、また2022年から2023年にかけての期間限定再結成は大きな話題を呼んだ 。

目次

メンバー

  • 成田昭次(なりた しょうじ) ヴォーカル、リードギター
    • 1968年8月1日(56歳)、A型、愛知県名古屋市熱田区出身
    • 初代リーダーでもあった 。特徴的なハスキーボイスを持ち、楽曲においては高音域のハーモニーや、サビでの力強いリードボーカルで存在感を発揮した 。活動中期以降はソングライターとしても多くの楽曲を提供し、特にメッセージ性の強い詞やメロディアスなロックナンバーを得意とした 。名古屋出身で、兄を通じてジャニーズ事務所入りし 、野村義男からギターの指導を受けた 。
  • 高橋和也(たかはし かずや) ヴォーカル、ベース
    • 1969年5月20日(55歳)、O型、東京都世田谷区出身
    • 楽曲の主旋律を担うことが多く、そのストレートで情熱的な歌唱スタイルはグループのカラーを決定づける要素の一つだった 。バンドの主要なソングライターの一人でもあり、社会風刺や自身の信条を反映したメッセージ性の強い歌詞を多く手掛けた 。バンド活動中から俳優としても高い評価を得ており、ドラマや映画で活躍した 。ライブハウス経営者の父の影響で音楽に親しみ、自らジャニーズ事務所の門を叩き、初期のバンド結成に関わった 。
  • 岡本健一(おかもと けんいち) ヴォーカル、リズムギター(サイドギター)
    • 1969年5月21日(55歳)、O型、東京都新宿区下落合出身
    • リードボーカルを取ることもあり、甘さと力強さを併せ持った歌声で楽曲に彩りを加えた 。後期アルバムには自身で作詞・作曲したソロ楽曲も収録されており、内省的、あるいは実験的な作風を見せた 。俳優としてもバンド活動と並行して活躍し、評価を得ていた 。成田からギターを学んだ経験を持つ 。後年、メンバー間の再会のきっかけを作るなど、グループにとって重要な役割を果たした 。
  • 前田耕陽(まえだ こうよう) リーダー・ヴォーカル、キーボード(以前はドラムス)
    • 1968年8月16日(56歳)、A型、東京都八王子市出身
    • キーボーディストであり、時にドラムやパーカッションも担当した 。ボーカルとしては主にハーモニーやコーラスを担ったが、一部楽曲ではリードボーカルも務めた 。当初は楽器経験が浅かったものの、努力を重ねてバンドに不可欠な存在となった 。作曲も手掛け、他のメンバーが歌う楽曲を提供することもあった 。二代目リーダーを務めた 。音楽活動以外にも、俳優業やバラエティ番組への出演など、マルチな才能を発揮した 。

来歴

結成

1984年12月末、雑誌『マイアイドル』1985年3月号の撮影で、成田昭次、高橋一也(後の和也)、岡本健一の3名がジャニーズJr.として集められた 。同誌では、ジャニーズJr.からメンバーを選抜しバンドグループを結成する企画が発表された 。

1985年、ジャニー喜多川社長はこの3名に「東京」というグループ名を付けた 。その後、遠藤直人と守屋二郎が加わり5人組となる 。彼らは明治製菓「アーモンドゴールド」のCMに出演(1985年2月開始)。同月、『月刊平凡』誌上の企画で前田耕陽が加入し6人体制となり、グループ名は「東京男組」に改名された 。

グループ名「男闘呼組」は、当時同じ事務所に所属していた中村繁之が提案したとされる 。中村によると、ジャニー喜多川から「楽器を弾く男っぽいグループを作りたい」と相談され、漫画『男組』から着想を得て提案したという 。漢字表記はジャニー喜多川が考案したとされる 。1985年3月、前田を含む6人体制で正式に「男闘呼組」へ改名された 。

その後、メンバーの変動があった。守屋二郎が大学受験を理由に脱退 。土田一徳(後の坂井一徳)が一時加入するも短期間で離脱 。遠藤直人も本人の希望でグループを離れ、後にアイドルグループ「忍者」のメンバーとなった 。一時期、成田、高橋、岡本の3人体制で活動していたが 、前田耕陽が正式メンバーとして定着 。これにより、成田昭次(ボーカル&リードギター)、高橋和也(ボーカル&ベース)、岡本健一(ボーカル&リズムギター)、前田耕陽(キーボード、ボーカル)の4人編成が確立された 。

デビューに向けて、メンバーは楽器演奏のスキル向上に努めた。特にギター担当の成田は、事務所の先輩である野村義男からギターの指導を受けた 。キーボード担当の前田は、当初楽器経験が少なかったが、後に演奏技術を習得した 。初期にはサポートキーボーディスト(田中厚など)が参加することもあった 。

1985年4月から3ヶ月間、テレビ朝日系『欽ちゃんのどこまでやるの!?』に成田、高橋、岡本の3名がレギュラー出演した 。番組内ではコントへの参加やエンディングテーマの歌唱を担当した 。その他、『アイドル花組おとこ組』や『ヤンヤン歌うスタジオ』などの番組にも出演した 。メンバー個人でのドラマ出演なども行われた 。

デビューと活動

1988年8月24日、シングル「DAYBREAK」でレコードデビュー 。同曲はオリコン週間シングルチャートで1位を獲得し 、1988年度の年間シングル売上では第4位を記録した 。デビューに合わせて、メンバー4人が主演する映画『ロックよ、静かに流れよ』が公開され 、フジテレビ系で連続ドラマ『オトコだろッ!』も放送された(メンバー全員が出演)。同年12月、第30回日本レコード大賞で最優秀新人賞を受賞した 。また、年末の第39回NHK紅白歌合戦に初出場2した 。

1988年12月発売のセカンドシングル「秋」はオリコンチャート最高2位を記録 。1989年2月発売のサードシングル「TIME ZONE」は再びオリコンチャート1位を獲得した 。同曲はセイコーのCMソングに起用され 、第31回日本レコード大賞で金賞を受賞した 。

1989年には東京ドームでコンサートを開催 。全国ツアー「男闘呼組 TOUR ’89 DAYBREAK & TIME ZONE」も実施した 。同年、第40回NHK紅白歌合戦に2年連続で出場した 。

活動後期には、メンバー自身による楽曲制作(作詞・作曲)が中心となった 。1991年リリースの4枚目のアルバム『I’m Waiting 4 You』では、共作を含め全曲をメンバーが手掛けた 。1992年にはアルバム三部作『5-1…非現実…』『5-2…再認識…』『5-3…無現実…』をリリースした 。シングルにおいても、「ANGEL」(1991年)や「TEARS」(1991年)などがメンバーの自作曲としてリリースされた 。

俳優活動も継続し、1993年にはメンバー4人全員で舞台『スラブ・ボーイズ』に出演した 。

1993年6月30日、メンバーの高橋和也がジャニーズ事務所から解雇されたことに伴い、グループは活動を休止した 。同日には舞台『スラブ・ボーイズ』の千秋楽を迎えており、また決定していた夏のコンサートツアーも中止となった 。

活動休止後

活動休止後、ファンクラブは1994年に解散 。メンバーはそれぞれソロで活動を続けた。高橋和也は俳優業を中心に活動 。成田昭次と前田耕陽も音楽活動や俳優業などを続けた 。岡本健一はジャニーズ事務所に残り(後にエージェント契約に移行)、俳優として活動した 。

再結成(期間限定)

2022年7月16日、TBS系の音楽特番『音楽の日2022』に出演し、約29年ぶりにグループとしての活動を再開することを発表 。デビュー35周年を迎える2023年8月末までの期間限定での活動とされた 。

再結成ライブ「男闘呼組 1988」や全国ツアー「男闘呼組 2023 THE LAST LIVE」を開催 。2023年8月には日本武道館で「男闘呼組 LAST FOREVER」公演を行い 、同月26日に日比谷野外音楽堂での「男闘呼組 2023 THE LAST LIVE -ENCORE-」をもって期間限定の活動を終了した 。

(再結成の詳細は→男闘呼組復活のページ)

音楽性

サウンドの特徴

男闘呼組の音楽は、ロック、特に当時のハードロックやLAメタルの影響を受けたサウンドを基調としている 。ギターリフやリズムセクションを重視しつつ、日本のポピュラー音楽としてのメロディアスさも持っていた。

ボーカルハーモニーを多用することも特徴である 。高橋または岡本が主旋律を歌い、成田が高音ハーモニーを加える構成や、サビで成田がソロを取る展開が多く見られた 。前田は主に高音域のハーモニーやコーラスを担当した 。

1曲の中で複数のメンバーがリードボーカルを交代する「スイッチボーカル」の手法も用いられた 。アカペラ曲「STAY WITH ME」では、4人の声によるハーモニーを披露している 。

楽曲制作

デビュー当初の楽曲(「DAYBREAK」「秋」「TIME ZONE」など)は、大津あきらやMark Davis(馬飼野康二)などの職業作家によって提供された 。

活動が進むにつれてメンバー自身による楽曲制作が増加し、1991年のアルバム『I’m Waiting 4 You』以降は自作曲が中心となった 。メンバー全員が作詞・作曲を行い、それぞれの音楽的志向が楽曲に反映された 。特に高橋や成田の詞には、メッセージ性の強いものが含まれる 。

イメージとスタイル

男闘呼組は、当時のアイドルグループとしては珍しく、「硬派」「男らしい」といったイメージを打ち出していた 。ファッションでは革ジャンやバンダナなどが用いられることがあった 。このようなスタイルはロックサウンドと相まって、他のジャニーズグループとの差別化に繋がり、女性ファンに加えて男性ファンも獲得したとされる 。

評価と影響

男闘呼組は、光GENJIや少年隊といったダンスポップ中心のアイドルが全盛だった時代、そしてBUCK-TICKやX JAPANなどが台頭するバンドブームの中で、ジャニーズ事務所から本格的なロックバンドとして登場した、極めてユニークな存在であった 。彼らは、アイドルの持つルックスやカリスマ性と、楽器演奏や(後期の)自作曲といった音楽的な真正性を両立させることで、独自のポジションを築いた 。

その硬派なイメージとロックサウンドは、従来のジャニーズファン層に加え、男性ファンをも惹きつけた 。音楽メディアや評論においても、単なるアイドルとしてではなく、音楽性を持ったバンドとして評価されることが多かったが、一方で、当初は生粋のロックファン層からはジャニーズ所属という色眼鏡で見られる側面もあったかもしれない 。

彼らは、アイドルとロックバンドという二つの世界の境界線を曖昧にし、ジャニーズ事務所の所属グループでありながらロック志向のサウンドとイメージで大成功を収められることを証明した。この成功は、当時のJ-POPシーンにおけるジャンルの多様化に貢献したと言える。30年近い時を経て行われた再結成が社会現象とも言えるほどの熱狂をもって迎えられた事実は、彼らが残したインパクトの大きさと、その存在感がいかに時代を超えて記憶されていたかを物語っている 。

男闘呼組の成功は、ジャニーズ事務所内におけるバンド形式のグループの可能性を大きく広げた。彼らの存在は、ダンスパフォーマンスを主体としない、楽器演奏を中心とするグループが活動するための道を切り拓いたと言える 。

その最も直接的な影響を受けた後続グループがTOKIOである 。TOKIOのメンバー自身も男闘呼組への敬意を公言しており、特に松岡昌宏は男闘呼組の再結成ライブに足を運び、その感動を語っている 。また、SMAPの木村拓哉も岡本健一との親交が深く、男闘呼組の音楽に影響を受けていたことが伝えられている 。

男闘呼組がジャニーズ事務所内でバンドというフォーマットを確立したことで、TOKIOや、後に関ジャニ∞(バンドとしても活動)のようなグループが続く土壌が作られた 。彼らは、ジャニーズの歴史において、音楽スタイルの多様性を広げる上で重要な先駆者としての役割を果たしたのである。

活動期間は約5年と比較的短かったにも関わらず、男闘呼組が今なお多くの人々を惹きつける理由は複数考えられる。まず、彼らの楽曲、特に「DAYBREAK」「TIME ZONE」「秋」といった初期のヒット曲や、メンバーが手掛けた後期の楽曲には、時代を超えて共感を呼ぶ力強さやメロディの普遍性がある 。

加えて、彼らと共に青春時代を過ごしたファンにとっては、その音楽が当時の記憶や感情を呼び覚ます、強いノスタルジーの対象となっている 。さらに、1993年の突然の活動休止と、その後のメンバー間の長い断絶、そして29年を経ての奇跡的な再会と和解というドラマチックなストーリーは、単なる音楽グループの歴史を超えた人間ドラマとして、多くの人々の心を打った 。

再結成時には、当時のファンだけでなく、その子供世代など、新たなファン層も獲得したことが報じられており 、彼らの音楽と物語が世代を超えて響く力を持っていることを示唆している。これらの要素が複合的に作用し、男闘呼組は日本のポップミュージック史において、特異な輝きを放ち続ける存在となっている。

Discography

Single

Album

Video

  1. [[Made in U.S.A.]] – 1987年8月3日
  2. [[BEST FRIEND]] – 1987年12月16日
  3. [[Xing point]] – 1988年2月18日
  • [[少年武道館~少年御三家新春一番歌い初め]] – 1988年3月18日
  • [[少年武道館II]] – 1988年10月30日
  1. [[ENDLESS TRIP]] – 1989年9月6日
  2. [[HELLO!! L.A.]] – 1989年
  3. [[男闘呼組 BIG TOUR ’89 in DOME]] – 1989年11月21日(VHS) / 2003年11月26日(DVD)
  4. [[男闘呼組 2,050,000秒の軌跡]] – 1990年8月24日
  5. [[男闘呼組 LIVE IN YOKOHAMA 1991 vol.1]] – 1991年7月21日(VHS) / 2003年11月26日(DVD)
  6. [[男闘呼組 LIVE IN YOKOHAMA 1991 vol.2]] – 1991年7月21日(VHS) / 2003年11月26日(DVD)
  7. [[彼らと僕、私と自分はみんな仲よし]] – 1992年11月1日
  • [[BMG Victor Presents Ariola Meeting 1993]] – 1993年9月1日
  1. [[男闘呼組「LAST FOREVER」(LIVE VIDEO)|男闘呼組「LAST FOREVER」]]- 2024年3月15日
    2023年8月に行われた解散ライブ「[[日本武道館]]」と「日比谷野外大音楽堂」公演の模様と、1年間の軌跡を追ったドキュメンタリー映像、合計3枚組BOX仕様。「男闘呼組」名義として最後のリリースとみられます。
    ※発売元の TOKYO RECORDS は男闘呼組の後身バンド「Rockon Social Club」のレーベル事務所

CD化されていない楽曲

誠 ほれたぜ(1985年)作詞:野村義男&荒木とよひさ 作曲:曽我泰久
明治製菓「アーモンドゴールド」CMソング
JASRAC:080-7561-1
ちょっと待ってどこまでやるの!(1986年)作詞:安藤芳彦 作曲:濱田金吾
『欽ちゃんのどこまでやるの!?』テーマソング
JASRAC:050-5244-1
TENSION!(1987年)作詞:安藤芳彦 作曲:MARK DAVIS
映像作品:『Made in U.S.A』に収録
当初のタイトルは「ZERO★TENSION」だった。夜のヒットスタジオDX、ミュージックステーションの初出演時に生演奏で披露されている。
JASRAC:096-8967-2
夜を撃て(1987年)作詞:秋谷銀四郎 作曲:都志見隆
映像作品:『Made in U.S.A』に収録
『ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング』オープニングテーマとして使用。但し、同番組の為に作られた訳ではなく、それ以前からあった曲である。番組には一時期、男闘呼組も出演した。なお、やはり同番組のエンディングテーマとして使われた「Midnight Train」は、後に「DAYBREAK」のカップリング曲のひとつとなった。
勝負!(1987年)作詞・作曲:男闘呼組
映像作品:『Made in U.S.A』に収録
男闘呼組が初めて作詞・作曲した曲。「FICTION STREET」としてテレビで披露されていたが、その後歌詞とタイトルが変更された。
JASRAC:041-0783-7
禁断のエロキューション(1987年)作詞:安藤芳彦 作曲:和泉一弥
映像作品:『Made in U.S.A』に収録
DETARAMEクレイジーナイト(1987年)作詞・作曲:男闘呼組
映像作品:『Made in U.S.A』に収録
『ヤンヤン歌うスタジオ』テーマ曲。
STAND OUT(1987年)作詞:大津あきら 作曲:MARK DAVIS
映像作品:『Made in U.S.A』に収録
スローバージョンは未CD化。
この夜にすべてを(1987年)作詞:安藤芳彦 作曲:MARK DAVIS
映像作品:『Xing point』に収録
表記は無いがビデオに収録したスローバージョンは未CD化。
野性登場(時期不明)
『ここんちプラネット』テーマ曲。
下から2番目の男(時期不明)成田ソロ曲
バッドボーイズブルース(時期不明)
Sister Christian(時期不明)
ナイト・レンジャーのカバー曲。
CROSS TO YOU -arashi-(1989年)
映像作品:『ENDLESS TRIP』に収録
細胞愚(1991年)作詞:高橋一也 作曲:男闘呼組
映像作品:『男闘呼組 LIVE IN YOKOHAMA 1991 vol.2』に収録
JASRAC:005-6608-0
悪想急(1991年)作詞:高橋一也 作曲:男闘呼組
映像作品:『男闘呼組 LIVE IN YOKOHAMA 1991 vol.2』に収録
JASRAC:005-6614-4

参加作品
BMG Victor Presents Ariola Meeting 1993(1993年9月1日・アリオラジャパン)

LIVE

休止前

  • [[祭 男闘呼組]] – 1986
  • [[祭 男闘呼組 Part.2]] – 1986
  • [[男闘呼組 ライブ in 青山]] – 1986 / 1987
  • [[男闘呼組 Winter コンサート]] – 1986~1987
  • [[男闘呼組コンサート]] – 1987
  • [[夏!祭!男闘呼組コンサート]] – 1987
  • [[文化放送 お遊びジョーズ Teens’ 激汗ライブ! 男闘呼組 at ラフォーレ赤坂]] – 1987
  • [[少年武道館~少年御三家新春一番歌い初め]] – 1988
  • [[New Year Special ‘88]] – 1988
  • [[ロックよ、静かに流れよ 公開記念『前夜祭だよ! 男闘呼組&光GENJI』]] – 1988
  • [[男闘呼組コンサート ‘88春]] – 1988
  • [[少年御三家 春の陣]] – 1988
  • [[少年御三家 武道館連続12回公演]] – 1988
  • [[男闘呼組 ’88 夏コンサート]] – 1988
  • [[少年御三家 夏の陣]] – 1988
  • [[男闘呼組 Winter Special ‘89]] – 1988~1989
  • [[第2回 明星 YOUNG SONG大賞 栄光のNo.1 授賞式イベント]] – 1989
  • [[男闘呼組 ’89 Spring Concert]] – 1989
  • [[男闘呼組 一気阿成 1st Anniversary Party]] – 1989
  • [[男闘呼組 夏・Big Tour ’89]] – 1989
  • [[男闘呼組 SUMMER CHARITY CONCERT]] – 1989
  • [[男闘呼組 LIVE ’90]] – 1989~1990
  • [[ニッポン放送 男闘呼DE NIGHT 公開ライブ]] – 1990
  • [[男闘呼組 LIVE ’90]] – 1990
  • [[LIVE ANGEL]] – 1990~1991
  • [[I’m Waiting 4 You ’91]] – 1991
  • [[Live at CLUBCITTA’川崎「そろそろやっか!」]] – 1992
  • [[THE OTOKOGUMI ‘92]] – 1992
  • [[BMG Victor Presents Ariola Meeting 1993]] – 1993
  • [[THE OTOKOGUMI ‘93(中止)]] – 1993(全公演中止)

期間限定復活

  • [[男闘呼組 1988]] – 2022
  • [[男闘呼組 2023 THE LAST LIVE]] – 2023
    • [[20230428-1500 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 大阪・フェスティバルホール]]
    • [[20230428-1800 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 大阪・フェスティバルホール]]
    • [[20230429-1500 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 大阪・フェスティバルホール]]
    • [[20230429-1800-男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 大阪・フェスティバルホール]]
    • [[20230504-1700 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 東京・東京ガーデンシアター]]
    • [[20230505-1500 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 東京・東京ガーデンシアター]]
    • [[20230511-1500 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 宮城・トークネットホール仙台]]
    • [[20230512-1500 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 埼玉・大宮ソニックシティ]]
    • [[20230514-1500 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 群馬・ベイシア文化ホール]]
    • [[20230525-1500 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 愛知・名古屋国際会議場センチュリーホール]]
    • [[20230526-1500 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 愛知・名古屋国際会議場センチュリーホール]]
    • [[20230602-1500 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 福岡・福岡サンパレス]]
    • [[20230604-1500 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 熊本・熊本城ホールメインホール]]
    • [[20230608-1500 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 広島・アステールプラザ大ホール]]
    • [[20230609-1500 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 広島・アステールプラザ大ホール]]
    • [[20230615-1500 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 神奈川・神奈川県民ホール]]
    • [[20230616-1500 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 千葉・市川市文化会館]]
    • [[20230629-1500 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 愛媛・松山市民会館]]
    • [[20230630-1500 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 香川・レクザムホール]]
    • [[20230702-1700 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 鹿児島・宝山ホール]]
    • [[20230704-1700 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 長崎・ブリックホール]]
    • [[20230710-1500 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 大阪・オリックス劇場]]
    • [[20230711-1500 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 大阪・オリックス劇場]]
    • [[20230713-1500 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 京都・ロームシアター京都メインホール]]
    • [[20230714-1500 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 兵庫・神戸国際会館こくさいホール (NO Setlist)]]
    • [[20230717-1700 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 新潟・新潟県⺠会館]]
    • [[20230722-1700 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 金沢・本多の森ホール(追加公演)]]
    • [[20230725-1500 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 北海道・札幌文化芸術劇場hitaru]]
    • [[20230730-1500 男闘呼組 2023 THE LAST LIVE @ 静岡・静岡市民文化会館大ホール]]
  • [[PEACEFUL PARK Charity for Happy Inclusion 2023]] – 2023
  • [[男闘呼組 LAST FOREVER]] – 2023
    • [[20230816-男闘呼組 LAST FOREVER @ 東京・日本武道館]]
    • [[20230817-男闘呼組 LAST FOREVER @ 東京・日本武道館]]
    • [[20230824-男闘呼組 LAST FOREVER @ 東京・日本武道館]]
    • [[20230825-男闘呼組 LAST FOREVER @ 東京・日本武道館]]
  • [[祝・日比谷野音100周年「男闘呼組 2023 THE LAST LIVE -ENCORE-」]] – 2023
    男闘呼組としての解散ライブ。
関連スケジュール
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