MYOJO 1988年4月号の「激闘MVP Myojo Voice Party」は、199〜200ページの「友が死んだ夜 ボクらは走り始めた!」で、男闘呼組の初主演映画『ロックよ、静かに流れよ』(東宝系)の公開に合わせ、映画のもとになった長野県松本市の実話の主人公、吉岡俊介さん(21歳)の話を紹介しています。

ミネさの死と「バンドやろうぜ」
「ミネさ」というニックネームの少年が亡くなったのは、1982年の秋でした。まだ高校1年生で、オートバイの事故でした。通夜の夜、ミネさの家に集まった中学時代からの仲間の中に、無二の親友の吉岡俊介さんもいました。ミネさはロック、特にパンクが好きで、モッズの大ファン。仲間たちがミネさの部屋に行くと、ラジカセには聴きかけのモッズのテープが入っていて、誰かが「バンドやろうぜ」と言い、みんなが「やろう!」と応えます。ふだんは音楽があまり好きではない「センセイ」まで、ミネさが担当するはずだったベースをやると言い出しました。俊介さんは「みんな、ミネさをひとりにしたくないという気持ちでした」と振り返っています。
追悼コンサートまでの2か月
2か月後にミネさの追悼コンサートを開くことになり、仲間たちは親の援助を受けずに、かつてミネさがアルバイトをしていた弁当屋で働いて費用を稼ぎました。楽器の経験があったのは、フォークギターをやったことのあるボーカルのトンダだけ。ギターの俊介さん、ドラムスのトモ、ベースのセンセイはほとんど初めてで、4人そろって練習できたのは、コンサートまでに3回だけでした。指はマメだらけになり、眠る時間は授業中にひねり出すほどでしたが、誰も弱音は吐かず、「もし、自分が脱落したら、そこでコンサートはできなくなってしまいます」と、自分たちを追い込んでいったといいます。
ミネさに追いつけ
俊介さんとミネさが初めて会ったのは、中学3年の始業式の日です。両親の離婚で、俊介さんは数日前に母と妹と東京から松本へ引っ越してきたばかりでした。ミネさと仲良くなって、トモ、センセイ、トンダら有名なツッパリの友だちが増え、学校から付き合わないよう警告されても、結束は強まるばかりでした。高校は別々になりましたが、外見は怖くても中身はシャイなミネさは、俊介さんの妹の誕生日に、忘れたふりをしてケーキを置いていったこともあったそうです。
高校に入って5月を過ぎたころから、ミネさは変わり始めます。アルバイト先でよく働き、俊介さんの母に勧められると、本を貪るように読みました。「人間ってやり直せるんだね」とミネさが言った3日後に、事故が起きました。仲間たちのコンサートは大成功に終わり、俊介さんは「ツッパるだけが自分を表現する方法じゃない。生きるための選択肢は目の前に無限にある。みんなそれに気づいたんです。コンサートまでの夢中で駆け抜けた2カ月で、ぼくらはやっとミネさに追いつくことができました」と語っています。
俊介さんは現在、東京の大学2年生。ミネさの死をきっかけに始めたギターを今も続けていて、将来はできればプロのミュージシャンになりたいと話しています。写真の説明では、映画の原作は俊介さんの母の紗千子さんが書いたベストセラーで、映画でミネさを演じるのは成田昭次、俊介を演じるのは岡本健一だと紹介しています。
出典・元記事
- MYOJO 1988年4月号 199〜200ページ「激闘MVP Myojo Voice Party」「●映画『ロックよ、静かに流れよ』の原作・主人公が語る、ツッパリ少年の友情物語 友が死んだ夜 ボクらは走り始めた!」:吉岡俊介の話(ミネさの事故、追悼コンサートまでの2か月、ミネさとの出会いと変化)、写真の説明(原作、映画の配役)。
写真や記事の詳しい内容は、MYOJO 1988年4月号の誌面をご覧ください。
