Real Sound は2025年3月14日、堺正章さん、Rockon Social Clubの成田昭次さんと寺岡呼人さんへのインタビューを公開しました。同日発売の共同名義のミニアルバム『プンスカピン!』について、会食から始まった企画、新曲2曲の制作、前年12月25日の横浜BUNTAIでの初披露を振り返っています。
会食から生まれた7人の共演
企画の発端として寺岡が挙げたのは、2024年8月末ごろの会食です。堺は自ら結成した堺正章 to MAGNETSについて相談するために来ていましたが、Rockon Social Clubとも一緒に活動しようという話へ広がりました。堺にとっては思いがけない誘いでしたが、この年齢で新しい体験ができる面白さを感じ、参加を決めました。初めは自分にできるかと戸惑ったものの、エネルギーがあれば挑めると考えたといいます。自分で立ち上げるバンドとは違い、すでに形のあるバンドへ加わることにも魅力を見いだしています。
7人の赤いミリタリージャケットには、1960年代への意識がありました。堺は、7人組だったザ・スパイダースの時代に戻るような感覚を覚え、衣装を着ることで一員になれる力があると捉えています。自身には伝統的な服装でも、若い世代には新鮮に映るのではないかと考え、舞台に立つとその効果を一層感じました。寺岡は撮影時に堺の存在感を感じ、横浜BUNTAIの映像でもそろいの衣装の効果を実感しました。成田は、グループでそろいの衣装を着るのは初めてだったといい、その機会を喜び、結束が強まったと話しています。堺にとっても、大勢の観客の前で自分を表現できた横浜の公演は、得難い経験でした。
「プンスカピン!」の音と言葉、初披露の出来事
寺岡は、Rockon Social Clubのツアーが9月13日に終わったあと、9月中に新曲2曲を作ったと振り返っています。堺の仮歌を入れ、企画を進められるかを確かめるためにも、まず曲が必要だったと説明しています。成田は、初めて聴いた堺の歌に強い衝撃を受けました。
「プンスカピン!」では、昔のグループサウンズを再現するだけでなく、Rockon Social Clubが演奏しても自然で、懐かしさと新しさが同居する音を目指しました。冒頭のギターリフは、堺の好む音楽を聞いた寺岡が、キンクスやスモール・フェイセスなど1960年代初期の英国ロックを意識して作ったものです。ライブでは成田が弾き、録音にはミッキー吉野がオルガンで参加しました。堺は特にイントロのギターを気に入り、同世代を元気にするだけでなく、世代を問わず届く曲だと考えています。
題は、共作詞の西野蒟蒻に考えてもらった約50案から、寺岡が歌に向く言葉を選びました。「バン・バン・バン」や「フリフリ」のような言葉遊びが発想の土台です。堺は、かまやつひろしと踊りを考えたスパイダース時代も回想しました。今回の振付はMIOCHINが担当。寺岡は、年齢を重ねて新しい表現を受け入れ、踊るメンバーの姿を魅力に感じています。寺岡は、高橋や岡本が若いころなら踊りを中心にした曲に抵抗したかもしれないと想像し、今は何にでも挑む柔軟さが格好よさになっていると評しました。堺は、成田が真剣に歌う姿と、岡本健一や高橋和也の弾ける姿が共存するところに、バンドの個性の釣り合いを見ています。
2024年12月25日の『KURE Presents NARITA THOMAS SIMPSON BIG BAND BEAT CHRISTMAS FANTASY』では、堺正章 & Rockon Social Clubとして「プンスカピン!」を初披露しました。成田が歌い始めを逃し、堺の提案で2度歌ったと振り返っています。寺岡は、堺が失敗を笑いへ変えたことで客席との一体感が増し、当日はMVも撮影していたため、結果的によい素材が増えたと話しました。堺も、支え合いながら観客を楽しませられた組み合わせに手応えを感じています。同じ曲を続けて歌うことにはためらいもあったと、堺は笑いを交えて振り返りました。
「The Show Man」に託した人生と、新しい演奏への挑戦
もう一つの新曲「The Show Man」は、共演が決まった寺岡に新たな着想が浮かんで生まれました。当初の仮題は「かくし芸」。本心を隠して生きることを歌にする発想でしたが、伝わりにくさを考え、堺の出演作でもある「時間ですよ」の言葉を取り入れる方向へ変わりました。堺は、大切なドラマの題を歌うことに一度難色を示し、寺岡に別の詞も書いてもらいました。しかし実際には元の詞を歌いたい思いがあり、最後はその案を受け入れています。

寺岡は、歌の中の時間が、堺だけでなく聴き手それぞれの人生にも重なると考えました。堺は、自分の経験や心情が短い歌に凝縮されていると感じています。また「プンスカピン!」には、困難の中でも諦めず、ともに生きようという励ましがあり、2曲とも自分のためにも書かれた歌だと受け止めました。
成田にとって「The Show Man」は、経験の少ないジャズ風の音楽に取り組む機会でした。難しいコードを練習するうちに、ギターを始めたころの感覚が戻り、この年齢で新しい音楽へ踏み出せることに意義を感じたといいます。幼いころから見ていた堺と同じ舞台に立つ不思議さも、メンバーに共通する思いでした。
堺は、成田たちがステージへ注ぐ力に加え、観客を楽しませる喜びと不安を併せ持っているところに、共演がうまくいく理由を感じています。創作や演出、出演を自分たちで担い、舞台こそ生きる場所だと理解している姿を評価しました。孤独や活動を続ける大変さも背負っているのだろうと想像し、それでも観客を満足させて送り出す姿に誇りを感じると話しました。長く応援してきたことへの誇りを持つファンにも、バンドの積み重ねた歴史を見ています。成田と寺岡は、バンドを始めたのは15、6歳ごろだったと答えています。
寺岡は20歳ごろからかまやつひろしと交流し、セッションをしたり、イベントへ出演してもらったりしてきました。一方、堺については音楽を離れた人だと思い込んでいましたが、会った時の印象と著書『最高の二番手』から、変わらないバンドへの精神を感じました。今回の共演は、世代やジャンルを越えて同じバンドの仲間だと実感する機会になったといいます。
渡辺貞夫の参加と、CDで届ける意味
「The Show Man」のサックスには渡辺貞夫が参加しました。堺が渡辺のライブへ通っていると聞いた寺岡が依頼すると快諾され、空いていた12月24日に録音することになりました。堺は、休みの日にスタジオへ来て間奏と終盤を演奏してくれたことに感激し、Rockon Social Clubとの共演に渡辺まで加わった録音を大切に受け止めています。
ミニアルバムには、新曲に加え、寺岡の編曲で「あの時君は若かった」「さらば恋人」を新録しました。寺岡は、YouTubeに堺や自分たちと同世代の人から励まされたという声が届く一方、誰もが配信を使えるとは限らないため、手に取れるCDで出すことに意味を感じています。7インチ盤を集める自身にとって、その大きさのジャケットも喜びでした。堺が大谷翔平の本塁打になぞらえて作品が広がることを冗談交じりに願う一方、成田は、世界の子供たちが曲に合わせて踊り、幸せを感じてほしいと語りました。堺は必要とされるメンバーとして活動を重ねたいと望み、寺岡も再び一緒に舞台に立ちたいと応じています。


