寺岡呼人

寺岡 呼人(てらおか よひと、1968年〈昭和43年〉2月7日 – )は、日本のミュージシャン、シンガーソングライター、ベーシスト、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、イベントオーガナイザー。広島県福山市出身 。元JUN SKY WALKER(S)のベーシストとして知られ、ソロ活動やゆずなどのプロデュース業でも成功を収めている 。近年は、伝説的な復活を遂げた男闘呼組のメンバーを中心としたバンド、Rockon Social Club および NARITA THOMAS SIMPSON のプロデューサー兼メンバーとして、特に成田昭次との深い関わりの中で、彼らの音楽活動における中心的な役割を担っている 。また、成田昭次や両バンドが所属する事務所兼レーベル「TOKYO RECORDS」の取締役も務めている 。

来歴

初期の活動とJUN SKY WALKER(S)

1968年2月7日、広島県福山市に生まれる(出生は岡山県津山市)。広島県立松永高等学校を経て、帝京大学文学部を卒業 。大学進学のため上京後、音楽漬けの日々を送る中で、JUN SKY WALKER(S)(以下、J(S)W)との関わりを持つようになる 。  

1988年2月、J(S)Wの前ベーシスト伊藤毅の脱退に伴い、寺岡に白羽の矢が立ち、正式メンバーとして加入 。同年、J(S)Wのベーシストとしてメジャーデビューを果たす 。バンド内では作詞作曲も担当した 。J(S)Wは大きな成功を収めるが、寺岡は自身の音楽性を追求するため、1993年にバンドを脱退し、ソロ活動へと移行する 。  

ソロ活動とプロデュース業の開始

1993年、アルバム『revolution』でソロアーティストとしてデビュー 。以降、自身の作品リリースやライブ活動を精力的に行う。弾き語りツアー『徒然道草』や、下北沢440での月例イベント『呼人の部屋』なども開催している 。

ソロ活動と並行して、1998年頃からは音楽プロデュースも手掛けるようになる 。特にフォークデュオ・ゆずのプロデュースは大きな成功を収め、彼のプロデューサーとしての評価を確立した 。その後も植村花菜のヒット曲「トイレの神様」をはじめ 、矢野まき、ミドリカワ書房、藤木直人、八代亜紀など、多彩なアーティストのプロデュースを手掛け、その手腕を発揮している 。  

また、2001年には自身が中心となり、世代を超えたアーティストが集うライブイベント『ゴールデンサークル』を立ち上げる 。このイベントには松任谷由実、小田和正、忌野清志郎、仲井戸麗市、桜井和寿(Mr.Children)、奥田民生など、日本の音楽シーンを代表する多くのアーティストが参加し、寺岡の音楽界における広い人脈と影響力を示すものとなった 。  

2018年には、自身のソロデビュー25周年などを記念し、奥田民生、斉藤和義、浜崎貴司、YO-KING、トータス松本といった盟友たちと共にスーパーバンド「カーリングシトーンズ」を結成 。アルバムリリースや全国ツアー、フェス出演など、活動の幅を広げている 。  

成田昭次との出会いと男闘呼組再始動への布石 (2022年〜)

寺岡のキャリアにおいて、近年特に注目されるのが、元・男闘呼組メンバーとの深い関わりである。その発端となったのは、2022年頃、長らく音楽シーンから離れていた成田昭次との出会いであった 。成田がソロ活動を再開するにあたり、寺岡がプロデューサーとして迎えられたのである 。  

この寺岡と成田の出会いは、単なるプロデューサーとアーティストの関係にとどまらず、後の男闘呼組再始動、そして Rockon Social Club 結成へと繋がる重要な「伏線」となった 。寺岡という実績あるプロデューサーのサポートは、成田が再び音楽活動を行う上での大きな支えとなり、シーン復帰への道筋をつけたと考えられる。成田自身も、寺岡の楽曲制作プロセスを間近で見たことが大きな学びになったと語っており 、寺岡が成田の再始動において音楽面だけでなく精神面でも重要な役割を果たしたことがうかがえる。  

この流れの中で、寺岡は成田のために楽曲「パズル」を作詞・作曲 。この曲は、その歌詞の内容が男闘呼組の復活を示唆するものとしてファンの間で話題となった 。さらに、2022年7月に公開されたミュージックビデオには、男闘呼組のメンバー4人が揃って登場し、アーティスト写真の撮影やスタジオセッションを行う様子が収められており、寺岡が手掛けた成田のソロ楽曲が、まさに男闘呼組再結成への布石として機能したことを明確に示している 。後に、再結成した男闘呼組自身もこの曲をライブで披露した 。これは、寺岡が成田のソロ活動をプラットフォームとして利用し、来るべきグループ再始動への期待感を醸成するという、戦略的な役割を担っていたことを示唆している。  

また、この時期に成田昭次、寺岡呼人、青山英樹の3人で後の NARITA THOMAS SIMPSON の母体となるバンド「成田商事」を結成している 。  

Rockon Social Club の結成と活動 (2023年〜)

2022年7月、男闘呼組は約29年ぶりとなる期間限定での活動再開を発表 。大きな反響を呼んだこの活動は、2023年8月をもって終了したが 、その物語は終わりではなかった。2023年1月、男闘呼組のメンバー、成田昭次高橋和也岡本健一前田耕陽の4人を中心に、寺岡呼人とドラマーの青山英樹を加えた新バンド「Rockon Social Club」の結成が発表されたのである 。  

寺岡はこの Rockon Social Club において、プロデューサーを務めるだけでなく、自身もギタリスト、ベーシストとして正式メンバーに名を連ねている 。バンド結成の経緯について、寺岡と成田の出会いから自然発生的に他のメンバーとの繋がりが生まれ、特別な結成秘話はない、現在進行形のバンドだと語られている 。  

Rockon Social Club は、2023年3月1日にファーストアルバム『1988』をリリース 。同作は大きな話題を呼び、同年11月にはセカンドアルバム『Don’t Worry Baby』を発表 。さらに2024年9月にはミニアルバム『SUMMER OF LOVE』をリリースするなど 、精力的な活動を展開している。  

バンドの音楽的方向性においては、メインソングライターでありプロデューサーである寺岡の役割が大きい 。「大人の華やかなロック」 を基調としつつ、多様な音楽性を取り入れている。寺岡は楽曲制作において、まずタイトルから発想する手法を好むと語っており 、メンバーに対して常に新しい挑戦を提示している。時には「やりすぎだ」と言われることを覚悟しながらも、メンバーはその提案を受け入れているという 。  

バンド内での寺岡の立ち位置について、成田昭次は彼を「鵜飼い」に例えている 。これは、個性豊かな男闘呼組のメンバー4人を、寺岡が巧みにまとめ上げ、バンドとしての方向性を示し、音楽的な成果(=魚)へと導いている様子をユーモラスに表現したものだろう。岡本健一も「男闘呼組の4人だけだと、何にもまとまらない」と語っており 、寺岡がRockon Social Clubという集合体において、音楽的な支柱であり、バンドを推進する舵取り役として不可欠な存在であることが示唆される。  

Rockon Social Clubは、MISIAとのコラボレーション楽曲「傷だらけの王者」(寺岡は編曲・プロデュースを担当) や、堺正章とのコラボレーション楽曲「プンスカピン!」 など、外部アーティストとの共作も行っている。ライブ活動も活発で、男闘呼組のラストツアー中にRockon Social Clubの楽曲が披露されることもあった 。  

NARITA THOMAS SIMPSON の改名と活動 (2023年〜)

寺岡はRockon Social Clubと並行し、成田昭次(ボーカル・ギター)、青山英樹(ドラムス)と共に3ピースバンド「NARITA THOMAS SIMPSON」のメンバーとしても活動している 。このバンドは、当初「成田商事」名義で活動していたものが、2023年9月に「NARITA THOMAS SIMPSON」へと改称されたものである 。  

NARITA THOMAS SIMPSONにおいても、寺岡はプロデューサー、そしてベーシスト兼ギタリストとしてバンドを支えている 。2024年4月10日には、ファーストフルアルバム『冒険者たちのうた』をリリース 。寺岡はこのアルバムのプロデュースを手掛け、先行配信されたシングル「花火と君」 や、アルバムタイトル曲「冒険者たちのうた」 など、収録曲の多くを作詞・作曲している。  

特筆すべきは、このアルバムには成田昭次が15年ぶりに書き下ろした新曲が3曲収録されている点である 。成田は久々の楽曲制作に当初戸惑いを見せたが、寺岡から「慣れだよ」と励まされたことがきっかけで、再びペンを取る決意をしたという 。このエピソードは、寺岡がNARITA THOMAS SIMPSONにおいて単なるプロデューサーやバンドメンバーに留まらず、成田の創作意欲を再び引き出すための触媒、あるいは指導者的(メンター)な役割をも果たしていることを物語っている。成田自身が寺岡のアレンジ能力を「二次元を三次元に、モノクロをカラーにしてくれる」と高く評価していることからも 、寺岡が成田の創造性を最大限に引き出す環境を提供していることがうかがえる。  

NARITA THOMAS SIMPSONのアルバム制作は非常にスピーディーに行われ、「花火と君」以外の楽曲は2024年に入ってから制作され、青山英樹のドラムレコーディングに至っては1日で6曲分を録り終えたという 。これは、寺岡の的確なディレクションのもと、3人のメンバー間に強固な信頼関係と効率的な作業プロセスが確立されていることを示している。NARITA THOMAS SIMPSONは、ビルボードライブでのツアーなど 、ライブ活動も精力的に行っている。  

人物

人柄とエピソード

アーティスト、ミュージシャン、プロデューサーと多岐にわたる活動で知られる寺岡だが 、その人柄について、寺岡は成田昭次に対して「ものすごい人見知り」という第一印象を持ったが、打ち解けると陽気になる人物だと語っている 。一方、成田は寺岡に対して「教授」のような印象を抱いているという 。これは寺岡の音楽に対する深い知識や理論的なアプローチ、あるいは落ち着いた語り口に由来するのかもしれない。興味深いことに、寺岡の実父は実際に大学教授であった 。  

Rockon Social Clubにおける「鵜飼い」 という比喩は、寺岡が持つ優れたバランス感覚と指導力を示唆している。個性の強い元男闘呼組メンバーそれぞれの能力を引き出しつつ、バンド全体を一つの方向へまとめ上げる手腕は、彼の人間的な魅力とリーダーシップの表れと言えるだろう。NARITA THOMAS SIMPSONで見せる成田への創作的な後押し と、Rockon Social Clubで見せる全体を俯瞰したディレクション を両立させている点からは、状況に応じて柔軟に対応する、彼の適応力の高いリーダーシップスタイルがうかがえる。  

交友関係

長年にわたりプロデュースを手掛けてきたゆずとは良好な関係を築いており、自身の30周年記念ライブにゲストとして招くなど、深い交流が続いている 。  

近年の活動の中心となっているのは、やはり成田昭次との関係である。プロデューサーとして彼のソロ活動を支えたことから始まり、現在はRockon Social ClubNARITA THOMAS SIMPSONの両方でバンドメンバーとして共に活動している 。この二人の強固な信頼関係が、現在の男闘呼組メンバー周辺の音楽活動の基盤となっていると言っても過言ではない。  

Rockon Social Clubにおいては、成田昭次高橋和也岡本健一前田耕陽という元男闘呼組の4人全員と密接に連携している 。インタビューなどからは、時に寺岡による方向付けが必要とされる場面もあるようだが 、全体としては協力的でポジティブな関係性がうかがえる。  

ドラマーの青山英樹とは、Rockon Social Club、NARITA THOMAS SIMPSONの両バンドで活動を共にしており 、彼のパワフルなドラミングは両バンドのサウンドの要となっている 。  

主催イベント『ゴールデンサークル』を通じて、松任谷由実、小田和正、桜井和寿など、日本の音楽界を代表する多くの大物アーティストとの交流があり 、その広い人脈は、Rockon Social ClubやNARITA THOMAS SIMPSONといったプロジェクトにも、間接的に信頼性や新たな可能性をもたらしている可能性がある。  

音楽性

音楽スタイルとプロデュース手法

寺岡呼人の音楽性は幅広く、ベーシストとしてのルーツを持つロックサウンドから、ゆずなどに代表されるフォーク、ポップスまで多岐にわたる 。プロデューサーとしては、担当するアーティストの個性や魅力を最大限に引き出す手腕に定評がある。  

特にRockon Social ClubNARITA THOMAS SIMPSONにおいては、男闘呼組が持つロックバンドとしてのイメージを継承しつつ、現代的な感覚とメンバーの年齢に相応しい円熟味を加えた「大人のロックサウンド」を構築している 。キャッチーなメロディラインと、情景や心情を巧みに描いた歌詞、そしてそれらを際立たせる洗練されたアレンジが特徴である 。成田昭次が寺岡のアレンジを「モノクロをカラーにしてくれる」と評したように 、楽曲の持つポテンシャルを最大限に引き出し、色彩豊かに表現する能力に長けている。  

自身の楽曲提供も多く、「パズル」、「遥か未来の君へ」、「Foxy Lady」、「LIFE」、「Summer of Love」(以上Rockon Social Club関連)、「花火と君」、「冒険者たちのうた」(以上NARITA THOMAS SIMPSON関連)など、バンドの代表曲となるような楽曲を数多く生み出している。  

制作手法としては、タイトルから楽曲を発想するアプローチを好むことを明かしている 。また、堺正章とのコラボレーションで見せたグループサウンズへのオマージュ や、NARITA THOMAS SIMPSONの楽曲解説に見られるボカロ楽曲への言及 など、様々な音楽的要素を柔軟に取り入れる姿勢も見られる。レコーディングにおいては、仮歌を本番テイクとして採用するなど 、効率性を重視しつつ、瞬間のエネルギーや生々しさを捉えることを大切にしている様子がうかがえる。  

Rockon Social ClubNARITA THOMAS SIMPSONにおける寺岡の音楽的な役割は、男闘呼組としての歴史やファンの期待といった背景を踏まえつつ、自身のクリエイティビティを発揮し、バンドとして新しい表現を追求するという、絶妙なバランス感覚の上に成り立っている。彼が生み出すサウンドは、往年のファンにとっては懐かしさを感じさせながらも、同時に新鮮さをも伴っており 、それはメンバー自身の自然な感覚とも合致しているようだ 。これは、寺岡がメンバーの特性とプロジェクトの文脈を深く理解しているからこそ可能な、高度なプロデュースワークと言えるだろう。   

主な出演作品

テレビ番組

  • 関ジャム 完全燃SHOW(テレビ朝日) – 音楽プロデューサー、アーティストとして度々出演。  
  • 音楽の日(TBS)- 2022年には男闘呼組として、2024年にはRockon Social Clubとして出演 。  
  • with MUSIC(日本テレビ)- NARITA THOMAS SIMPSONとして出演 。  
  • その他、Rockon Social Club、NARITA THOMAS SIMPSONのプロモーションに関連する音楽番組、トーク番組への出演多数。

ラジオ番組

  • YOHITO’S MUSICHRONICLE(FM COCOLO、2024年12月 – )- 自身のホスト番組 。  
  • ミュージックライン(NHK-FM)- Rockon Social Clubメンバー(成田昭次)と共に出演 。  
  • SUPER CAST(ZIP-FM)- Rockon Social Clubメンバー(成田昭次)と共に出演 。  
  • オールナイトニッポンGOLD(ニッポン放送)- Rockon Social Clubメンバー全員での出演や、堺正章とのコラボレーションでの出演など 。  
  • Rockon Social Club の なんてったってキミが好き!(AuDee)- Rockon Social Clubの番組。メンバー、プロデューサーとして出演 。  
  • GOGOMONZ(NACK5)- 成田昭次がゲスト出演し、寺岡プロデュースのRockon Social ClubやNARITA THOMAS SIMPSON、コラボ楽曲について言及 。  
  • その他、ゲスト出演、インタビュー、コメント出演多数。

ディスコグラフィ

ソロ作品

寺岡呼人は自身のソロアーティストとしての活動も継続している。1993年のソロデビュー以降 、コンスタントに作品を発表。2023年にはソロデビュー30周年を迎え、配信ベストアルバム『MASTER PIECE -maverick-Best of 30 Years』をリリースした 。定期的なソロツアーも開催しており 、アーティストとしての活動も精力的に行っている。  

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