成田昭次、「まさかこんなに自分がギターを練習するとは思わなかった」 ギタリスト人生の原点と師・野村義男との出会いを語る(2025.9.20放送)

2025年9月20日に放送されたニッポン放送『成田昭次のRockon The Knight』では、成田昭次が単独でパーソナリティを務めた。番組では、リスナーから寄せられた男闘呼組デビュー当時の思い出や、先日開催された音楽イベントでの裏話に答えたほか、人気コーナー「ギタリスト列伝」の最終回として、成田自身が自らのギタリスト人生の原点から現在に至るまでの歩みを詳細に語った。

Rockon Social Club最速は誰? 運動会の思い出を語る

番組冒頭、成田は「先週までは岡本健一さん、高橋和也さんと賑やかにお送りしましたが今週は久しぶりに1人です」と、今回は一人での放送であることを報告。メンバーの前田耕陽については、「ちょっとあの電話してみたんですけど、いや食事中だよって、かもしんないなんて思ってですね」と、連絡を試みたものの繋がらなかったというユーモラスなエピソードを披露した。

放送当時は世界陸上が開催されていたことに触れ、「Rockon Social Clubの中で、誰が1番足が速いんでしょうかねえ」と独自の考察を展開。「僕はね、多分耕陽か英樹君かなって思ったんですよね」と語り、前田耕陽が昔からスポーツ万能であったこと、そしてドラマーの青山英樹については「あれだけツーバス踏むじゃないですか。脚力はやっぱり1番強いと思う」とその理由を述べた。

さらに、自身が所属していた男闘呼組時代を振り返り、「僕らもその男闘呼組で、昔あったと思うんですけど、あの芸能人大運動会大会みたいな。あったと思うんですけど、なんかありますね、記憶が」と、過去の思い出に言及。「短パンとランニング履いてゼッケンみたいなのつけてた記憶、8巻きしてなんか記憶があるんですよね」と、当時の光景を懐かしんだ。

リスナーからの指摘で蘇る、男闘呼組デビュー日の記憶

番組にはリスナーから多くのメールが寄せられた。その中の一通は、男闘呼組のデビュー日である1988年8月24日の出来事に関するものだった。リスナーからの「その日は大阪城ホールで少年御三家コンサートでしたよ。会場みんなでお祝いしたはずですよ。あの1日3公演もしたコンサートを」というメッセージに、成田は驚きを隠せない様子を見せた。

以前の放送でメンバーがデビュー日の記憶について話していたことに触れ、「ええ? でもなんか、和也さん、タクシーの運転手さんに『今日俺たちのデビュー日なんです』ってなんか話されてましたよね」と述べ、「人の記憶って曖昧なもんですね」とコメント。1日に3公演も行っていたという事実には「3公演だと最初のワンステージ目が10時とか11時ぐらいから始まらないとできないですよね」「3回もやれたんですね、僕ら」と、当時のエネルギッシュな活動を振り返った。

大阪でのサプライズ共演秘話「ハンドマイクで歌うなんてカラオケぶりですよ」

続いて、2025年9月7日に開催された「さんまPEACEFUL PARK 2025」に参加したリスナーからのメールを紹介。このイベントで成田は、大阪府知事の吉村氏、大阪市長の横山氏と共に、やしきたかじんの名曲『やっぱ好きやねん』を披露した。

リスナーからの「めちゃくちゃかっこよかったです」「やっぱ緊張しましたか?」という問いに対し、成田は「いや、これ緊張しましたよね」と率直な心境を吐露。普段のステージとは違う状況について、「久しぶりにああいうなんかこう、なんかセンターステージでギターを持たずにマイク、しかもハンドマイクで歌うなんて、カラオケとかぶりですよ」と語った。

名古屋出身である成田は、大阪を象徴するこの曲を歌うことについて、「僕がその大阪の歌を歌ってもいい、いいのかなって最初思ったんですけど」という葛藤があったことを明かしつつも、「本当にこういう素敵な公演な、機会を与えてくださって本当にありがとうございました」と感謝を述べた。

「ギタリスト列伝」最終回、成田昭次が自らのルーツを語る

この日の放送で最終回を迎えたコーナー「ギタリスト列伝」。成田は「最後に取り上げるのは、Rockon Social Club、NARITA THOMAS SIMPSON、そして元男闘呼組のギタリスト、成田昭次です」と、自身をテーマに語り始めた。

ギターとの運命的な出会い

成田が初めてギターに触れたのは小学生の頃。近所に住んでいた中高生のお兄さんの家にあったフェンダー社のストラトキャスター(※2)だったという。「あの時代に近所にあのフェンダーのあのストラトをハードケースに入ってたから、多分本物のあのUSAのフェンダーだと思うんですけど、それを持ってた人がいたっていうのが」と、今思えば非常に貴重な体験だったと振り返った。

本格的にギターを弾き始めたのは、1歳上のの影響が大きかった。兄が所有していた白いセミアコ(※3)タイプのギターを「押入れの中にしまってあったのを勝手に」弾いたのが、ギタリストとしての第一歩だったと記憶を辿った。

(※2)ストラトキャスター:フェンダー社が製造するエレキギターの代表的なモデル。あらゆるジャンルに対応できる汎用性の高さから、世界中のギタリストに愛用されている。
(※3)セミアコ:セミアコースティックギターの略。ボディ内部が空洞になっているが、ソリッドギターの要素も併せ持つ。ジャズやブルースで多用される。

ヘビーメタルに夢中になった少年時代

ギターにのめり込む直接的なきっかけは、同級生が弾いていたマイケル・シェンカー(Michael Schenker)の楽曲「Armed and Ready」だったと明かす。当時はレコードを聴いて音を拾う「耳コピ」や、ギター専用の楽譜である「タブ譜」を駆使して練習に明け暮れた日々を語った。

成田がギターを始めた1980年代初頭は、ハードロックやヘビーメタルの全盛期。「僕らの耳にやっぱり一番引っかかったのが、そのヘビーメタルだった」と語るように、当時の音楽シーンから多大な影響を受けた。レンタルレコード店では、KISS や Van Halen といったバンドのレコードをジャケットのデザインで選んで借りていたというエピソードも披露した。

自身のギターサウンドを追求する過程では、BOSS社のオーバードライブ(※6)やディストーション(※7)といったエフェクターを手に入れ、最終的にマーシャル社のアンプにたどり着いたと、音作りの変遷についても触れた。

(※6)オーバードライブ:ギターの音を自然に歪ませるエフェクター。真空管アンプの音量を上げた時のような温かみのあるサウンドが特徴。
(※7)ディストーション:オーバードライブよりも激しく、硬質に音を歪ませるエフェクター。ハードロックやヘビーメタルで多用される。
(※9)マーシャル社のアンプ:イギリスのギターアンプメーカー。その独特のサウンドは「マーシャルサウンド」と呼ばれ、ロックギタリストの象徴的な機材の一つ。

師・野村義男との出会いが拓いた音楽の扉

上京後、成田のギタリスト人生に決定的な影響を与えた人物がいた。それが、野村義男だ。成田は「この人に会ってなかったら、今のこういう自分のギター人生はなかったと思うし、もうこれは間違いないけど、野村義男さんですね」と、その存在の大きさを力強く語った。

当時、合宿所で生活していた成田のもとに野村が訪れ、ヘビーメタル一辺倒だった成田にビートルズ、ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリンといった60年代、70年代のロックを教えたという。「ヘビーメタル以外聴いたことなかったのが、やっぱり野村義男さんとの出会いで」「もう徹底的に、これ聴いた方がいいっていろんな教えてくれて、だから今すごくそれが役に立ってる」と、この出会いが自身の音楽性を大きく広げる転機になったと感謝を述べた。

現在、そしてこれからのギタリスト・成田昭次

一時期、音楽活動から離れ、ギターからも遠ざかっていた時期があった成田。しかし、男闘呼組の再始動を機に、再びギターと真剣に向き合うようになった。

まさかこんなに自分がギターを練習するとは夢にも思わなかったんですよね」と、現在の自身に対する驚きを語り、「結局ね、好きなものはやっぱり変わらないんだなと思って」と、ギターへの変わらぬ愛情を口にした。

最近では、ライブ本番を常に意識し、自宅での練習でも立ってストラップを装着し、ステージ上と同じ姿勢で弾く時間を増やしていることを明かした。「立って弾く時間っていうのは大事だなと思って」と、その理由を説明し、プロフェッショナルとしてのストイックな一面を覗かせた。

ONAIR:Rockon Social Club『GO-ROUND』


番組のエンディングで成田は、Rockon Social Clubとしての初のコラボレーションアルバム『THE SHOW MAN』が11月5日にリリースされること、そして全国ツアー『FOREVER CALLING -Still Rockin’-』の開催を告知。最後に、番組が次回で最終回となることを伝え、リスナーへの感謝と共に放送を締めくくった。ギタリストとしての過去、現在、そして未来を見据える成田の言葉は、彼の音楽への真摯な姿勢を改めて感じさせる放送となった。

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