2023年3月24日に放送された『中居正広の金スマスペシャル』(TBS系)に、昨年29年ぶりに活動を再開した伝説のロックバンド・男闘呼組(前田耕陽、成田昭次、高橋和也、岡本健一)が初登場した。MCの中居正広にとって「一番聴いたロックミュージシャン」であり、大好きな先輩でもある彼らとの久しぶりの再会が実現。番組では、アイドル界の異端児として時代を駆け抜けたデビュー当時から、突然の活動休止、そして29年という長い空白期間を経て奇跡の復活を遂げるまでの波乱万丈な軌跡が、メンバー自身の言葉で赤裸々に語られた。
「一番聴いたロックミュージシャン」 中居正広と先輩・男闘呼組の絆
スタジオに登場した男闘呼組の4人は、後輩である中居正広と旧交を温めた。中居が療養中だった際、高橋和也が「すごい心配してたから、俺たち」と、4人でビデオメッセージを送ったエピソードに触れると、中居は「いや、本当うれしかったですね、あんとき」「僕、本当そのとき泣いちゃって。1人で。涙出てきちゃって」と、先輩からの温かい言葉に深く感動したことを明かした。岡本健一も「こうやって復帰してくれて、俺たちもめちゃくちゃうれしいね、本当に」と応じ、スタジオは温かい空気に包まれた。
SMAPが結成されたのは、男闘呼組がデビューした1988年。わずか5年で活動を休止したことについて、中居が「今思うと短いですよね」と問いかけると、高橋は「今、長いですよ。アイドルは」と語り、活動期間の濃密さを振り返った。
異端児たちの誕生―高橋和也「東京って何だよ」
番組では、80年代後半のバンドブームを背景に、男闘呼組がどのようにして誕生したかがVTRで紹介された。Van HalenやBon Joviといった海外のロックバンドが人気を博し、日本でもストリートライブがブームとなる中、ジャニーズ事務所からデビューした彼らは、まさに異端の存在だった。
スタジオでは、グループ結成の経緯がメンバーの口から語られた。高橋和也は「最初はみんなほら、踊りから入るわけじゃない?」と、当初は少年隊のバックダンサーを務めていたことを告白。しかし、ジャニー喜多川氏が「ロックバンドを作りたい」と考え、幼い頃からギターを弾いていた成田昭次を中心にメンバーが集められたという。

岡本健一は「踊りのレッスンに行くのを、やめる」「音楽スタジオに入るのを口実に踊りのレッスンをね、俺はもう拒否してたんです」と当時を振り返り、バンド活動への強い思いを明かした。
また、グループ名が当初「東京」だったという驚きのエピソードも飛び出した。高橋は「みんなで、東京って何だよ」と思ったと語り、前田耕陽は「外国の人が東京っていう言葉は絶対知ってるから。世界に行くためにはそういう名前にしたほうがいいっていう」と、ジャニー氏の壮大な構想を明かした。

デビュー後の彼らは、まさに“やんちゃ”全開。『ザ・ベストテン』出演時に、屈強な男たちが踊る過激な演出があった際、前田は「ジャニーさん、めちゃくちゃ怒ってた」と、その舞台裏を暴露。「俺たちが怒られてんだけど、俺たちは後ろに(何がいるか)知らないから」と笑いながら当時を振り返った。
離散の29年―成田昭次、10年以上の消息不明とメンバーの捜索
人気絶頂の1993年、彼らは突然活動を休止。そこから4人が再びそろうまで、29年という長い年月が必要となる。活動休止後、岡本以外の3人は事務所を退所し、4人は完全に離れ離れとなった。特に、ボーカル兼ギターでグループの中心的存在だった成田昭次は、2009年に芸能界を引退。その後、メンバーでさえ連絡が取れない消息不明の状態が10年以上続いた。
高橋は「僕ら、その間は昭次がどこにいるのか、何をしてるのか、全く情報がない」「メンバーはずっと探してたわけ。昭次のことを、どこにいるんだって」と、仲間を案じ続けていた日々を明かした。
一方、当事者の成田は「僕も、連絡先が分かんなかったものですから」「もうメンバーと連絡取り合うことはもう、ないんだろうなって、ずっと思ってて」と、沈黙期間の心境を吐露。番組では、成田がその間の壮絶な人生を自ら語った。「自分のやっぱり、過ちを犯してしまって、そっから名古屋に戻るきっかけの1つにもなってしまった」と明かし、地元・名古屋で職探しから始めたことを告白。「1からハローワークとか行って仕事探してました」と語り、大工の手伝いや材木屋勤務を経て、最終的には化学工場で8年間働いていたという。特に材木屋時代には「2年ぐらいして、火事になっちゃって。全焼してしまって」という不運にも見舞われたことを淡々と語った。

奇跡の糸口―高橋和也からの1通のメール
再始動の物語が動き出したのは2018年。高橋和也が、古い知人を介して偶然にも成田の連絡先を入手したことがきっかけだった。高橋は「どこにいるのとか、電話してもいいのとか、一切言わずに、『昭次、和也だよ、元気?』それだけ打って」と、10年以上の時を経て送った最初のメールの内容を明かす。1週間後、成田から「和也、昭次だよ、元気でやってるよ」と返信があり、ついにメンバー間の連絡が再開された。

メンバーが長年探し続けていた成田の安否。連絡がついた時の心境について、岡本健一は「連絡が取れたっていうことで、ちょっとやっぱ安心はしました」と安堵の表情を見せ、「ちゃんと…生きてる」と、言葉を詰まらせながら当時の率直な気持ちを語った。

岡本健一、再始動への転換点「活動休止っていう言葉に引っかかっていた」
当初は再始動に「興味なかった」と語るほど消極的だった岡本。その心境を変えるきっかけとなったのが、2019年に行われた男闘呼組主演映画「ロックよ、静かに流れよ」の30周年記念上映会だった。会場に集まったファンの熱い思いと、成田から寄せられた「俺もこの映画ものすごい大好きで誇りで思ってるから、みんなによろしく」というメッセージに触れた岡本は、心境の変化があったことを明かす。

「本当に解散って風になってたら、ないと思うんですけど、休止だから」「もしやるんだったら、ちょうど2023年が、活動休止から30周年なんです。なんか節目だなあ」と、再始動への思いが芽生え始めたことを語った。
運命の再会―東京ドームで交わした27年ぶりの抱擁
そして、物語が大きく動く運命の日が訪れる。2019年、東京ドームで行われたジャニー喜多川氏のお別れ会。上京していた成田も参列していたが、岡本は約束も無いまま、広大な会場で成田の姿を探し続けていた。そして人混みの中、ついにその姿を見つけ「昭次!」と声をかける。振り返った成田と、声をかけた岡本。二人は互いの顔を見て、目が丸くなるほど驚き、言葉を失う。それは、27年という長い時を超えた、まさに運命の再会だった。二人は固く抱き合い、空白の時間を埋めるように再会を喜び合った。岡本は「昔のままに戻って」、成田は「彼はもう全然変わってないんですよ。あのまま」と、感動の瞬間を振り返った。
その後、岡本は名古屋での舞台公演の際に成田と会い、二人でカラオケへ。そこで成田の歌声を聴いた岡本は「めちゃめちゃうまかったわけ。当時の歌よりもなんか渋みが増して」「これ、いけるかもしんない、と思っちゃった」と、その歌声に衝撃を受け、再始動への確信を強めたことを明かした。

ついに2020年8月4日、4人は27年ぶりにスタジオに集結。「うわあ!」と抱き合い、再会を喜んだ4人。前田は「29年もたってると、人って何かしら変わると思うんですよね。ところが、なんか、あれ、昔もこうだったよなっていう」と、変わらぬ空気に安堵したことを語った。そして、再び4人で音を合わせた瞬間、岡本は「俺たちって家族なんだなっていう風に思いましたね」とその特別な感情を表現した。

名古屋のスタジオにて 和也がスタジオを予約して
耕陽が車を出して
健一がヒラポンを連れて来て
全員でハグをして あの時の気持ちが、皆さんのお力を借りて今日のこの日に繋がり、男闘呼組は大阪城ホールに立っています こんなに大きな会場で、僕らに壮観な景色を見せてくれてありがとう #男闘呼組
#大阪城ホール”.
成田昭次、最後の決断「もう一度夢を追ってほしい」
4人での再会は果たしたものの、成田の心はまだ揺れていた。現在の仕事への責任と、音楽への情熱との間で葛藤する日々が続く。そんな成田の背中を押したのは、岡本の熱い言葉と、現在の勤務先の社長からの意外な一言だった。
岡本は成田と8時間にわたって話し合い、「もう一度お客さんの前でギターを弾いて、俺たちと一緒に音楽をやる人生があるなら、やっぱり後者を、昭次に選んでほしい」と、その思いを伝えた。
さらに、成田が勤務先の社長に退職の相談をした際、社長は「やっぱりずっとやってきた音楽の仕事をするっていう気持ちはないの?」と、彼の本当の気持ちを後押ししてくれたという。そして、職場の同僚たちも実は男闘呼組のファンであり、「絶対やったほうがいいっすよ」と温かく送り出してくれたことを明かした。
周囲の支えを受け、成田はついに再始動を決断。「音楽が自分好きだなっていうのをまたそこで、なんか再確認できましたね」と、自身の原点に立ち返った瞬間を語った。
新たな旅立ち―「50過ぎてもチャレンジできる」
番組では、男闘呼組のメンバーを中心に結成された新バンド「Rockon Social Club」の初ライブにも密着。「50代の新人バンドです!」とステージに立った彼らは、ブランクを感じさせない圧巻のパフォーマンスで会場を熱狂させた。

ライブの最後、成田は自身がソロ時代に作った楽曲『パズル』を披露。この曲について、「これ4人で歌ったら、すごいんじゃないかな」という思いがあったことを明かした。29年間バラバラだったピースが再び一つになるまでの奇跡の物語を歌い上げた。

最後に中居が「30年後に、まだ再始動するって保証もなければ、その気もないわけですからね」とこの奇跡を称えると、成田は「50過ぎてもこうやってまたチャレンジできるっていうことが、実現することができるんだなっていう。だからこそ、やっぱり同世代の同じ人たちにも僕らを見て、なんかやれるんだっていう気持ちを思ってくれて、すごくうれしいし、ありがたいことですよね」と、ファンへの感謝と今後の活動への意気込みを語り、番組を締めくくった。









