『婦人公論』2025年3月号の記事を先出しした、関容子の連載「名優たちの転機」第38回の前編です。岡本健一さんが、中学3年での芸能界入り、母を亡くした経験、演劇との出会い、結婚と育児、息子・岡本圭人さんとの共演を振り返ります。

関さんは、1991年のベニサン・ピット『蜘蛛女のキス』のヴァレンティン、2002年の新橋演舞場『嵐が丘』のヒースクリフ、2012年の新国立劇場『リチャード三世』を評価します。リチャードは以前観た名優たちよりリアルで鮮明な当たり役とし、2016年の劇団民藝『二人だけの芝居―クレアとフェリース―』での奈良岡朋子さんとの共演も振り返ります。
中学3年の夏休み、原宿で偽のスカウトに声をかけられ、後から友人とジャニーズ事務所を訪ねたことが芸能界入りのきっかけです。写真と電話番号を残すと、一週間後にジャニー喜多川さんから電話があり、会って偽スカウトに声をかけられたことを説教されました。渡された小学館の地図を頼りに撮影へ行き、約10人のジャニーズJr.と手編みのセーター姿で写真を撮りました。
合宿所で約50人と10時間のダンスレッスンを受けましたが、少年隊のバックで踊ることは望んでいませんでした。新学期、『プチセブン』の写真を見た人々が校門に集まり、教室でも注目され、下校時には他校からも人が来て、生活が一変しました。
父の勧めで明大付属中野高校の定時制へ進学。その前、中3で約1600人のオーディションから選ばれ、TBS『サーティーン・ボーイ 僕は札束中学生』に主演しました。財津一郎さんと加賀まりこさんが両親役、かたせ梨乃さんや蟹江敬三さんらがゲストの全13回のドラマです。乱闘や繁華街で叫ぶ場面などが恥ずかしく、16歳の誕生日の初回放送を観ると、プロには羞恥心をなくす必要があると気づきました。父の目も変わったと感じた転機でした。

17歳の時には、47歳の母を亡くしました。最後の入院中に欲しい物を尋ねると、ヴァレンティノのバッグを希望されましたが、買う前に危篤の連絡が学校へ入りました。新宿の人混みを走って駆けつけ、亡くなった母の前で崩れ落ちると、父にしっかりするよう叱られました。合宿所に帰ると、男闘呼組のメンバーと少年隊の3人が、メロンを食べながら励ましてくれたといいます。母の死を曲にし、仕事をする中で、悲しみが少しずつ浄化されて楽になりました。バッグを買えなかった後悔は今も残り、いつか死ぬのだから、後でこうしておけばよかったと思わないよう生きようと強く考えました。

演劇へ進むきっかけには、テレビで共演した山崎努さんの言葉がありました。本番で突然繰り出すアドリブに応じるうちに可愛がられ、「役者は絶対に舞台をやるべきだ」と勧められたといいます。18歳の時に『唐版・滝の白糸』の出演依頼が来ると、松坂慶子さんとの共演と聞いて出演を決めました。蜷川幸雄さんの稽古場で、大人たちの強いエネルギーや、挨拶した時とは別人のように役へ入る松坂さんの姿に出会い、演劇の世界へ行きたいと確信しました。30歳を過ぎてアイドルを続けるのは難しいだろうと考え、無名でも舞台役者を目指そうと思ったそうです。関さんは、1989年のこの初舞台で少年アリダを演じたことを記しています。

22歳で出演した『蜘蛛女のキス』では、アメリカ出身の演出家ロバート・アラン・アッカーマンさんに出会いました。ベニサンの稽古場に囲いを作り、岡本さん、村井國夫さん、演出家、通訳だけの私的な空間で稽古しました。男性同士の愛を演じるため、安心して何でもできる環境が用意され、物語の中で相手を本当に好きになることを求められました。演出によって場面の中で身体も反応するようになり、演劇のすごさを極めたいと思ったことから、この作品こそ第2の転機かもしれないと振り返ります。
この舞台を森光子さんとメリー喜多川さんが観に来て、森さんは岡本さんを抱きしめて褒めました。その後、23歳で結婚し、記事では24歳で最初の子の父になったと回想しています。先輩のトシちゃんやマッチもまだ結婚していない時期で、解雇されるかもしれないと覚悟しながら、母親代わりのように思っていたメリーさんに連絡しました。電話では言えず自宅を訪ね、結婚するのは明日だと告げると、泣いて喜ばれ、ご祝儀をもらいました。私生活をマスコミへ報告したくないという考えも理解してもらえたことに感謝しています。

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「男闘呼組」
自分が産まれた、1993年に活動を休止した男闘呼組。再結成を観られたこと、感じられたことをとても誇りに思います。東京ガーデンシアターの公演で「男闘呼組」という文字がスクリーンに浮かんだ瞬間、涙が出ました。それほど自分が待ち望んでいた、自分にとっても特別なバンドだったんだな、と感じました。父親がステージでギターをかき鳴らした音、姿、眼差しに、また涙をしました。マスクびっしょびしょ、もう大変……笑
これがルーツなんだと。子供の頃から家にあって、大切なギターだから!と触らせてもらえなかったGibsonの黒いギターはこの瞬間のために大事にしていたんだと、父親の熱い想いの謎がとけました。
最高にかっこよかった。胸に刻まれました。目に焼き付けました。
大事なのは今、そしてこれから先。自分も負けないように、生きていくぞ。と心から思いました。
Thank You 男闘呼組。Thank You 男闘呼組のファンの皆さん。
夢を見させてもらいました。
自分も、自分の夢に向かって、胸を張って、前に進んでいきます。
#男闘呼組
#岡本健一
#前田耕陽
#高橋和也
#成田昭次
#Midnight_trainから人生が始まった。
#岡本圭人
#keitogram
#けいとのインスタグラム”.
子どもが生まれた時は、多忙で子の成長を見られなかったことを悔やむジョン・レノンやデヴィッド・ボウイのインタビューを思い出しました。出産まで女性が長く耐えてきたのだから、今度は自分が育児をしようと、最初の1年間は仕事を抑えました。舞台が1本ほどあったほかは、ほとんど育児をし、泣く子を泣き止ませるのが得意だったそうです。
2021年には、フロリアン・ゼレール作『Le Fils 息子』で圭人さんと初めて父子共演しました。苦しむ息子を演じる実の子を見続けることはつらく、台本を読むだけでも重い気持ちになったものの、その分、観客の心に響いたと思っています。終演後の食事、家への送迎、旅公演は楽しく、2024年の再演では稽古も含め約3ヵ月一緒に過ごしました。離婚しても息子は息子であり、互いに演劇の道へ進み、共演できてよかったと語っています。




