PARCO「スラブボーイズ」(the Slab Boys)

『the Slab Boys』(スラブ・ボーイズ)は、ジョン・バーンの戯曲を、ロバート・アラン・アッカーマンの演出で、1993年6月5日から6月30日まで渋谷のPARCO劇場で上演した舞台。企画制作はパルコ、翻訳は吉田美枝。男闘呼組の4人が、スコットランドのじゅうたん工場で働く若者たちを演じ、この舞台が男闘呼組の最後のステージになった。

基本情報

企画制作:株式会社パルコ
期間:1993年6月5日〜30日
会場:渋谷のPARCO劇場
脚本:ジョン・バーン
翻訳:吉田美枝
演出:ロバート・アラン・アッカーマン
出演(登場順):高橋和也(当時は高橋一也)、前田耕陽、岡本健一、原金太郎、趙方豪、成田昭次、大方斐紗子、植野葉子

あらすじ

1950年代、みんながジェームス・ディーンに憧れ、ロックンロールに夢中だった時代。スコットランドのペイズリーのじゅうたん工場で働く19歳のスパンキー、フィル、ヘクターは、デザイナーがじゅうたんの下絵を描くための絵の具を混ぜ合わせる「スラブ・ボーイ」で、一日も早くデザイナーになってスラブ・ルームを出ていくことを夢見ている。だが、スパンキーとフィルは、首にならない程度の仕事ぶりで、気の弱いヘクターをいじめ、デザイナーをからかい、上司に反抗してばかりいる。スラブ・ボーイの名は、大理石の盤(スラブ)の上で絵の具をすり砕く仕事から来ている。1

ある日、エリートのお坊ちゃんのアランが、スラブ・ルームで働くことになる。その夜は会社のダンス・パーティーで、みんなが憧れのルシールをパートナーに誘おうと狙っている。一方、画家を志すフィルが密かに美術学校を受験していたことが分かり、フィルはその日、結果を知らせる電話を待っている。2

ルシールが選んだのはアランで、いじめられっ子のヘクターはデザイン・ルームに出世し、フィルはクビになる。尊敬する画家がスラブ・ルームの出身だったと知ったフィルは、新しい人生に向かって、スラブを飛び出していく。3

出演

  • ジョージ・“スパンキー”・ファレル:高橋和也(当時は高橋一也)
  • ヘクター・“ヘック”・マッケンジー:前田耕陽
  • フィル・マッキャン:岡本健一
  • ウイリー・カリー:原金太郎(スラブ・ボーイたちの「天敵」の、カリー主任)
  • ジャック・ホッグ:趙方豪(全部で12回、スラブ・ルームに出入りする役)
  • アラン・ダウニー:成田昭次
  • セイディ:大方斐紗子
  • ルシール・ベントリー:植野葉子

並びは登場順。

公演日程

1993年6月5日〜30日:渋谷のPARCO劇場
6月30日の千秋楽の打ち上げが、男闘呼組の4人がそろった最後になった。次に4人がそろったのは、2020年8月4日だった。4

男闘呼組の4人の出演

成田昭次(アラン)

成田昭次は、この舞台で初めて舞台の芝居をした。アランの役を言われた時、自分の歩みをたどると、アランのような育ち方や経験はしていないと感じたが、そういう部分は誰でもどこかに持っていて、演じているうちに出てくると話している。体を使っていろいろなことを表現してくれるアッカーマンの演出で、伝えたいイメージに説得力があったという。男闘呼組のメンバーとは出会って10年近くになり、互いに自分の気持ちを表現するようになって、わかり合える状態にある今、4人で芝居をやれるのがうれしいと話した。アランは聞き役に回ることが多く、自分が台詞を喋るより難しいという。スコットランドの話のせりふの意味や、言葉のニュアンスを理解するのが大変で、みんなで話し合って演じた。舞台に慣れてしまうのは嫌で、いつも初めての気持ちで取り組んだという。この舞台で、セリフを忘れたこともある(「僕もセリフ忘れちゃったことがあって」)。

高橋和也(スパンキー)

高橋和也は、稽古の数か月前にアメリカへ行き、ロサンゼルスのアッカーマンを訪ねて、一緒に昼食をとり、映画を見に行った。この舞台のために、もみあげを伸ばした。来日したアッカーマンを空港に迎えに行き、稽古中も全開の情熱で周りを巻き込んだ。岡本健一が『蜘蛛女のキス』に出た時は本当にうらやましく、アッカーマンに演出してもらえると聞いてうれしかったという。最初は戯曲がつかめなかったが、作者のバーンが自分で描いたスラブ・ボーイたちの絵を英語の原作で見て、すぐに共感し、それからフィフティーズにはまった。その姿を、父がとても喜んだ。稽古のころは、男闘呼組として出たコンサートで張り切りすぎて足首を捻挫し、包帯をしていた。

本能で芝居をするタイプだったが、アッカーマンと組んで、理知的に表現することの面白さを学んだ。24歳でアッカーマンの演出を受けられたことを幸運と感じ、毎日の稽古を楽しんだ。『3月のライオン』で好きになった俳優の趙方豪と共演できたことは、光栄で心強かったという。

前田耕陽(ヘクター)

前田耕陽は、最初に台本を読んだ時、一見淡々として事件らしい事件も起きないので、何が面白いのか分からなかったが、アッカーマンが来て細かく演出すると、とても面白くなったと話している。いちばん難しいのは、落ちこぼれのヘクターが出世して変わる場面で、やりすぎてもいけないし、観客を唖然とさせなければならず、何度もダメが出た。それでも、納得できない指摘は一つもなかったという。3年前から太った役をやってみたくて、この役のために実際に太った。アッカーマンの演出は、頭の中にイメージができあがっていて、計算されていて無駄がないと話している。

岡本健一(フィル)

岡本健一は、出演者の中でただ一人、アッカーマンの演出を『蜘蛛女のキス』で受けていた。二人芝居だった『蜘蛛女のキス』と、8人が出る今回では印象が違い、毎日新しい緊張感で稽古に臨んだ。フィルを要領の悪い若者と見て、ジョットーに憧れ、美術学校に受かろうが落ちようが目指す所は高いのに、スラブ・ルームでデスクをもらうことだけが夢の人たちの中で、どう振る舞えばいいか分からない人物だと話している。稽古の合間には、高橋や成田と、今やった所をくり返して合わせ稽古をした(「自分と生理の合う“いい人間”と仕事をするとそうなるんだ。ごく自然にね」)5。4人の役者の共演がたまたま男闘呼組だっただけだと話し、スラブを飛び出したいのにクビにされると上司に食ってかかる、矛盾したフィルの心を探りながら演じたという。

稽古中の活動休止の決定

稽古中に、男闘呼組の活動休止と、高橋和也が事務所を離れることが決まった。成田・岡本・前田の3人が会議室に呼ばれ、高橋を6月30日の千秋楽で解雇すると知らされ、そのあと高橋が一人で呼ばれた。7月からの全国ツアー『THE OTOKOGUMI ‘93』は中止になった。6事情を知ったアッカーマンは、舞台の後にアメリカへ来て、語学や映画製作の現場を学んではどうかと高橋に勧めた。

反響

成田昭次のアランは、映画でヤクザを演じた成田の役として4人の中でいちばん意外だが、それを吹き飛ばすほどの好演と評された。前田耕陽のヘクターは、髪を立て、おなかを膨らませた捨て身の熱演と評された。7

制作

翻訳

翻訳の吉田美枝は、アッカーマンからこの戯曲を教えられ、イギリスのナショナル・シアターの売店で台本を手に入れた。スコットランドの労働者階級の少年たちの話し言葉で書かれていて、スコットランド方言の辞書を買って訳し始めたが、イギリスの人なら誰でも知っているらしいコメディアンの名前や、物語にかけたジョークが続いた。『蜘蛛女のキス』の演出で来日したアッカーマンから、アメリカで上演した時の台本は作者のバーンが手を入れたものだと教えられ、そのアメリカ版を訳した。アメリカ版は、人名もジョークもアメリカの観客に分かるように書き替えられ、筋も整理されていた。戯曲の時代は1957年で、若い出演者が知らない人名は、演出家と翻訳者が、カットしたり、時代に合う意味のある人名に替えたりした。稽古でも、演出家が原文を読むたびに、出演者と相談して台詞に手を入れた。

演出と稽古

稽古場は、ベニサンスタジオだった。演出家アシスタントの垣ヶ原美枝が、アッカーマンの言葉を日本語に訳した。アッカーマンは、スラブ・ボーイたちと同じ白衣を着て稽古場に立ち、立ち稽古の初日から本物の絵の具を使った。台詞がすでに入っている出演者たちの、ごく小さな動きの差や、台詞への気持ちの入れ方を細かく確かめ、指摘や提案は具体的で論理的だった。俳優に鋭い質問を投げ、その答えをもとに一緒に考え、演出の意図をはっきりさせていった。出演者の側からも、芝居全体のトーンを考えた意見がよく出た。アッカーマンは高橋和也に、まず「何もするな」「お前はまずそこにいろ」と教えた。

アッカーマンは、男闘呼組の4人と上演できることに胸を躍らせ、4人がアーチストとして自分の力を最大限に使い、成長しようと真剣に考えている姿勢に感心していた。8

装置・照明・音響・衣裳

装置のデヴィッド・サカロフは、工場をヴィクトリア時代風の煉瓦造りの建物にした。スラブ・ルームは、産業革命のころの誇りを失って古び、煙草の吸い殻や古い箱、何年も置きっぱなしのデッサンが散らばり、そこらじゅうに絵の具がこびりついた、工場の忘れられた片隅の部屋にした。装置のアーチには「1875」「A.F. STOBO & CO.」の文字がある。照明は沢田祐二、音響は高橋巖、衣裳は黒須はな子、ヘアメイクは木村雅宏。黒須はな子は、8人の役の衣裳のデザイン画を描いた。

スタッフ

脚本:ジョン・バーン
翻訳:吉田美枝
演出:ロバート・アラン・アッカーマン
装置:デヴィッド・サカロフ
照明:沢田祐二
音響:高橋巖
衣裳:黒須はな子
ヘアメイク:木村雅宏
演出家アシスタント:垣ヶ原美枝
美術家通訳:ヴァネッサ・ガイガー
舞台監督:小川亘(T.P.T.)、小笠原修一
キャスティング:門井絵璃(T.P.T.)
演出部:久保浩一、佐藤志真子、礒沼陽子
稽古場助手:手嶋恵美子
大道具:俳優座劇場舞台美術部 小野伸哉
小道具:高津映画装飾 和田博
特殊小道具:渡辺工房 渡辺憲昭
照明操作:沢田オフィス 今泉柳隆
音響操作:オフィス新音 金子彰宏
衣裳(製作):MOMA WORKSHOP 増田恵美
かつら:スタジオAD 山田操
履物:神田屋
宣伝美術:タイクーン・グラフィックス
写真撮影:山田信
イラスト:フランコ・ザヴァーニ
協力:株式会社ジャニーズ事務所、株式会社紅三
稽古場協力:ベニサンスタジオ 瀬戸雅壽
Special Thanks to:日向美鶴子、曽根原美保
製作:山田晶義
制作:山田潤一、祖父江友秀、常田景子、門井均(T.P.T.)
票券:谷村篤、荻生美佳
企画制作:株式会社パルコ
並びは、パンフレットのスタッフの一覧のとおり。


  1. 舞台「the Slab Boys」パンフレット(1993年)「スラブ・ボーイズと私」(パンフレット4〜5ページ) — スラブ・ボーイの名の由来、男闘呼組の4人への思い、稽古の数か月前に高橋一也がロサンゼルスを訪ねたこと。 ↩︎
  2. 舞台『the Slab Boys』パンフレット(1993年)の扉(「JUNE 5–30, 1993 Parco Theatre」)、2〜3ページの「staff」「cast」、6ページの「ストーリー」「作者について」、8〜15ページの「cast profile」(黒須はな子のデザイン画)、20〜21ページの稽古場の写真 — 期間と会場、企画制作、スタッフ、配役と登場順、あらすじ、物語の舞台のペイズリー、衣裳のデザイン画。 ↩︎
  3. 男闘呼組ファンクラブ会報 第27号(1993年7月)「the Slab Boys」 — 4人の役、あらすじ、4人のインタビュー(役作り、アッカーマンの演出)。 ↩︎
  4. THE CHANGE の高橋和也のインタビュー(3)(2025年11月4日) — 1993年6月30日、渋谷 PARCO劇場での千秋楽と、アッカーマンの演出。 ↩︎
  5. 佐藤友紀「稽古場の『スラブ・ボーイズ』」(パンフレット20〜27ページ) — 稽古場の様子と、8人の出演者の話。 ↩︎
  6. THE CHANGE の高橋和也のインタビュー(1)(2025年10月27日) — 男闘呼組の最後のステージで、アッカーマンの演出だったこと。稽古中に活動休止が決まり、高橋が事務所を離れることになったこと。事情を知ったアッカーマンが、舞台の後にアメリカで学ぶよう勧めたこと。 ↩︎
  7. 男闘呼組ファンクラブ会報 第27号(1993年7月)「the Slab Boys」 — 4人の役、あらすじ、4人のインタビュー(役作り、アッカーマンの演出)。 ↩︎
  8. ロバート・アラン・アッカーマン「スラブ・ボーイズと私」(パンフレット4〜5ページ) — スラブ・ボーイの名の由来、男闘呼組の4人への思い、稽古の数か月前に高橋一也がロサンゼルスを訪ねたこと。 ↩︎

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