「それでも、まだ僕は自信がなかった」ついに訪れた“成田昭次”復活の日、猛練習して男闘呼組4人再結集の場へ、会社勤めをしてわかったファンの偉大さ(THE CHANGE 連載)【第14回/全30回】

双葉社THE CHANGEのRockon Social Clubメンバーによるリレー連載第14回は、ボーカル&ギターの成田昭次さんの4回目です。2020年8月の男闘呼組の4人のセッションの後も、すぐには再始動に踏み出せなかったわけ、会社の社長の言葉、約10年ぶりのステージ、会社勤めで知ったファンの存在の大きさ、あがり症と歌詞の苦労、アルバム『THE SHOW MAN』でのギターの師匠・野村義男さんとの初めての録音を語っています。

2020年8月、成田昭次の地元・名古屋で、男闘呼組の4人がついに一堂に会した。だが、そこから再始動へまっしぐらとはいかなかった。10年近く音楽活動から離れていた成田は、久しぶりにみんなに会うため、失礼がないようにとギターを猛練習したが、会社員としての勉強や仕事もおろそかにできず、ギターの練習と仕事のための猛勉強の掛け持ちは大変だったという。

スタジオに集まると、メンバーもその日のために猛練習してきていて、仕事への姿勢と熱意が昔から変わらないと感じた。セッションは6時間も続き、その後は食事をしながら真夜中過ぎまで話した。高橋和也か岡本健一が持ってきた、昔の最後のツアーの大宮のライブ音源をみんなで聴いて盛り上がったが、成田には再始動は全然現実的ではなかった。昔の音源を改めて聴いたからこそ「あんなに弾けないな」と思い、仕事のために勉強しなければという気持ちが強かった。今思えば、自信がなかったのかもしれないと振り返る。翌日、4人で出かけた時にも再始動の話が出たが、長すぎるブランクを実感していた。

とてもお世話になっていた会社の社長には、メンバーと会ったことも話していた。ある時、社長に「昔やっていた音楽の仕事に戻る気はないの?」と聞かれて驚き、「絶対にありませんよ」と答えると、「世の中に、絶対なんてないよ」と言われた。その後、再始動の話を正式に断るつもりで話し合いの場に出向いたが、その中で、かたくなだった気持ちが変わり始めた。社長に報告すると「絶対にやったほうがいい」と背中を押され、ようやく決心がついた。会社の同僚も応援すると言ってくれたという。

再び上京した成田の音楽活動再開の一歩目は、2020年11月のLittle Black Dressのライブへのゲスト出演だった。約10年ぶりのステージで、突然名古屋に帰った自分が、また急に人前に立つなんてと、いろいろな考えが浮かび、足はガクガクで、呼び込まれる直前まで震えながら祈っていた。それでも、名前を呼ばれたら出ていくしかなかったと話す。

名古屋で会社に勤めた日々は、大切な糧、財産になった。戻ったばかりのころは早朝3時に起き、休みは日曜だけだったので、休日のありがたみを実感し、その貴重な時間を割いてライブに来てくれるファンの存在の大きさを、以前とは比べ物にならないくらい感じるという。再始動のライブの初日までは、東京ガーデンシアターのような大きな会場が埋まるわけがないと心配していたが、ファンは大歓声で迎えてくれた。ステージでは、すごい光景を前に置物のように動けなくなった。昔からいちばんのあがり症で、今も変わらない。岡本は緊張せず、高橋は器用で、前田耕陽も舞台に慣れている。それでも、いろいろなものを費やして来てくれたファンを楽しませ、盛り上げるのが今の自分の仕事だと言い聞かせた。

音楽を仕事にしている感覚を取り戻すのにも、相当時間がかかった。舞台をやっている岡本と高橋は昔から歌詞を間違えないが、自分は昔から時々間違え、テレビの生放送で間違えて怒られたこともある。50歳を過ぎて、歌詞とコードを短期間で覚えるのは大変だという。

アルバム『THE SHOW MAN』では、子どものころからスターだった堺正章や、同じ世代の憧れのNOKKO、大友康平、聖飢魔IIのデーモン閣下、そしてギターの師匠の野村義男と一緒にできた。野村とレコーディングでセッションしたのは初めてだと思うといい、「Still Rockin’」のギターソロの録音にも立ち会った。今のギタースタイルがあるのは野村の存在が本当に大きく、音楽を聴く幅や演奏スタイルも広がったという。その演奏を間近で見られたのは、本当に貴重な時間だった。豪華な参加者たちと、いつかライブで同じステージに立てたら、このうえなく幸せだろうと話している。

成田昭次

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