「速さこそ正義だ」Rockon Social Club青山英樹が衝撃を受けたX JAPANのYOSHIKI、「壁にぶち当たりました」プロデビュー2年後と影山ヒロノブらアニソン界のレジェンドのサポートドラマー(THE CHANGE 連載)【第7回/全30回】

双葉社THE CHANGEのRockon Social Clubメンバーによるリレー連載第7回は、ドラムの青山英樹さんのインタビュー2回目です。X JAPANのYOSHIKIさんに受けた衝撃、プロを目指した青年期、デビュー後に知った音楽の仕事の難しさ、JAM Projectから始まったサポートドラマーの道を振り返っています。

青山英樹は、Rockon Social Clubと、成田昭次・寺岡呼人との3人のNARITA THOMAS SIMPSONのメンバーとして活躍するプロのドラマー。インタビュー2回目では、ハードロックに目覚めた青年期の転機を語った。

サッカー選手になる夢を断念した時、友達に誘われて家のドラムを叩くと、すごく面白かった。その友達は、X JAPANが好きな母の影響でhideのファンで、洋楽ばかりを聴いていた青山は、友達に見せてもらったX JAPANのYOSHIKIに度肝を抜かれた。一般的なドラムのバスドラムは1つだが、YOSHIKIのセットには2つあって派手で、しかもめちゃめちゃ高速で叩く。それまで知っていたドラムとは全然違い、桁違いにかっこよく見え、「“速さこそ正義だ!”」と、ものすごい衝撃を受けたという。YOSHIKIにならって、バスドラムを2台置くツーバスのドラマーになりたいと思った。10代のころの、親に反発したくなる気持ちから、父とは違うスタイルで叩くんだという思いも、少しはあったと思うと話す。

その日から、バンドのドラマーとしてデビューすることが夢になった。中学でバンドを組んでから、進学する気持ちはまったくなくなり、先生に、このままの成績だと行ける高校がなくなると言われるほどだった。母はとても心配して「高校だけは出ておきなさい」と説得し、父は放任主義で、好きにやりなさいという感じだった。青山は、音楽だけで生きていくことに迷いはなく、プロになって活躍できると信じていたという。

アマチュア時代は、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルのようなハードロックのバンドでライブハウスに出ていた。レコード会社から声がかかり、2006年に5人組のロックバンド、ARMERIA(アルメリア)のドラマーとしてデビューした。しかし、メジャーで売れるにはハードロックではなくポップスでないと難しいと言われ、好きな音楽だけをやっていても音楽で食べていくのは難しいと、初めて知った。19か20歳のころで、プロの難しさを感じ、壁にぶち当たった。ARMERIAは、デビューから2年で解散した。好きなことを一生懸命やるだけでは限界があり、ビジネスとしての成功も考えなければいけないと思い知らされ、さまざまな価値観の勉強にもなったと振り返る。

サポートドラマーとしてのキャリアは、およそ20年前、影山ヒロノブらアニソン界のレジェンドが在籍するJAM Project(Japan Animationsong Makers Project)で始まった。サポートでいちばん長い付き合いで、この夏には、さいたまスーパーアリーナの『Animelo Summer Live 2025』でも叩いた。自分のバンドでは好き勝手に叩いていたが、サポートは、同じステージに立っていても立場が違う。主役のアーティストを見に来た客に対して、どう叩けばいいかを考えるようになり、それまでとは違う緊張感があった。アーティストより前に出過ぎてはいけないが、遠慮しすぎてもよくない、絶妙なポジションを見つけなければいけないと、だんだん分かってきたという。小さいころから父が叩くライブをよく見に行っていたが、年を重ねるにつれて、父のすごさが身にしみて感じられるようになったと話す。

次回は、男闘呼組との不思議な縁を語ると予告されている。

青山英樹

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