未経験の楽器でメジャーデビュー、元ジュンスカ寺岡呼人「衝撃を受けた」ベーシスト、「素晴らしいものを受け取った」ユーミンの楽曲(THE CHANGE 連載)【第27回/全30回】

双葉社THE CHANGEは2026年3月13日、Rockon Social Clubの連載第27回として、寺岡呼人のインタビュー第2回を公開しました。未経験のベースに挑んだJUN SKY WALKER(S)への加入、演奏と曲作りを学んだ日々、ソロ転身後の不調期を振り返っています。文はキツカワユウコです。

ベース未経験からデビューへ

弟が通う学校の先輩バンドだったJUN SKY WALKER(S)を手伝っていた寺岡呼人は、リーダーからベースを弾くよう誘われた。経験はなかったが、音楽の仕事をしたい気持ちがあり、広島から上京して大学にもあまり行かず、後がない状況でもあった。断らずにやると決めたことを、大きな転機に挙げる。

誘われたのは1987年12月末で、1988年5月のデビューと2月の最初のアルバム録音が決まっていた。約2か月、夢中で練習し、金がなく自分のベースを買えなかったため、高校の後輩から借りて録音した。下積みをほとんどせずにデビューしたことで実力が追いつかず、イベントでは他の出演バンドを全て見て勉強した。特にLÄ-PPISCHのベーシストtatsuの技術に衝撃を受け、自分が最初に脱落するのではと焦った。

曲作りとピアノの練習

寺岡は、演奏も曲作りも十分にできない現実を受け止め、長く活動する方法を探した。デビューから約3年後に本格的に曲作りを始め、未熟な曲でも客にすぐ聴いてもらい、温かく受け入れられる環境を幸運と感じた。デビュー前なら、デモテープを送って落ちることを繰り返しただろうと、バンドとファンの存在に感謝する。

22歳ごろ、小型の電子ピアノを買い、仕事後に毎日練習した。大ファンの松任谷由実の楽譜なら楽しく学べると考え、コードだけでなく、その曲から多くを受け取ったという。もっとできるはず、違う景色を見たいという不安と願いが続いていた。

バンドブームのころには、河口湖、山中湖、軽井沢などで約1週間の合宿録音が行われた。酒を飲めなかった寺岡は、夕食後の宴会に参加せず、山中湖沿いのファミリーレストランへ車で行って歌詞を書いた。禁欲的だったからというより、酒の楽しみ方を知らず、自分を追い込まずにいられなかったと振り返る。

ソロの不調期と、笑顔を選んだこと

1993年にソロへ転じたものの、26歳から29歳ごろまで曲が作れなくなった。毎日楽器に触れ、一晩中取り組んでも曲ができず、寒い夜に街を歩いて歌詞を考えても言葉が出なかった。

そこで、落ち込んだ姿を見せたり愚痴を言ったりするより、自分を笑顔の形にしようと考えた。少し虚勢を張っても、自分は生きることを楽しみ、何でもできると言い聞かせたかったという。続けるうちに笑顔が習慣になり、人との縁にも恵まれた。不安な時でも新しいものを受け取らなければ生み出せないと考え、友人と遊び、人に会うことで変化が起こる可能性を語った。

寺岡呼人

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