寺岡呼人の最初の転機、連絡先も知らないのに「レコード10枚貸してくれた」下北沢の奇跡、「お前をメンバーにする」電撃ジュンスカ加入(THE CHANGE 連載)【第26回/全30回】

双葉社THE CHANGEのRockon Social Clubメンバーによるリレー連載第26回は、プロデューサーでメンバーの寺岡呼人さんの1回目で、リレーのアンカーの登場です。人生で最初で最大の転機という広島からの上京、下北沢の暮らしと甲本ヒロトさんとの出会い、JUN SKY WALKER(S)を手伝った日々と、メンバーに誘われた日を語っています。

Rockon Social ClubとNARITA THOMAS SIMPSONのプロデューサーで、メンバーでもある寺岡呼人は、大学に進むために広島から上京したことを、人生で最初で最大の転機に挙げる。初めてのひとり暮らしで、食事ひとつとっても違い、何より、田舎とは比べものにならないほどのレコード店やライブハウスがある環境に刺激を受けた。上京してすぐは八王子市の寮に住み、19歳で下北沢駅の西口近くのアパートに移った。家賃は2万5000円で、トイレは共同、風呂もなかったが、毎日中古レコード店を巡り、ライブハウスに通う暮らしは楽しかった。

銭湯では、三谷幸喜の劇団、東京サンシャインボーイズの梶原善とよく一緒になり、帰りに梶原とザ・ブルーハーツの甲本ヒロトの家に行ったこともある。甲本は一晩中、熱くブルースの話をしてくれ、連絡先も知らない寺岡に、レコードを10枚くらい貸してくれた。音楽が好きというだけで信じ合える、そんな奇跡も下北沢に住んでいたからだという。甲本に会う前には、ザ・ブルーハーツのライブを渋谷のラママで見て、衝撃を受けていた。2年もいなかったが、下北沢でようやく東京に来たと実感し、密度の濃い時間を過ごした。

東京の全寮制の中高一貫校に通う弟が1年生の時、6年生だったのがJUN SKY WALKER(S)のメンバーで、高校生の寺岡は、弟が持ち帰るカセットテープを聴き、東京の高校生はオリジナル曲をやっているのかと驚いた。上京後は自然に弟の先輩のバンドのライブに行き、手伝うようになった。新宿の歩行者天国での路上ライブの発電機やPAスピーカーを前の日に集めるのが役目で、10人ほどだった客はたちまち100人を超え、メジャーデビューの声がかかった。メンバーではない自分はどうすればいいのかと悩んでいたある日、リーダーの森純太が渋谷のアルバイト先に来て、「お前をメンバーにする」と言ったという。

寺岡呼人

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